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畑口實さん:元広島平和記念資料館長

 《自分が被爆者であると長年言えなかった》

 広島平和記念資料館の10代目館長(1997~2006年)、畑口實(みのる)さん(69)=廿日市市=は、朝日新聞社の70年アンケートにこう記した。

 突然、館長就任を告げられた。97年3月のことだ。広島市職員だったが、平和行政とは無縁。歴代館長が平和行政の「顔」として、核廃絶を訴える姿を見てきた。

 まもなくマスコミの取材が殺到し、原爆との関わりを聞かれた。直近の館長は被爆者が続いていた。

 それまで胎内被爆者であることを周囲に言わずに生きてきた。父二郎さんを原爆で失い、戦後、母チエノさんは駅の売店で働きながら、子ども3人を育てた。母からは「お父さんは原爆で死んだ」としか聞いていなかったが、苦しい境遇の中で、畑口さんは10代半ばになると、米国を憎んだ。

 21歳の秋、ふいに母から「これ、あなたのよ」と被爆者健康手帳を渡された。だが、自分が被爆していることを受け入れられず、手帳は机の奥にしまった。20年ほど使わずにいた。「市役所に勤めて一人前の大人になれた。過去は振り返りたくなかったし、自分は『他人と一緒』と考えたかった」

 しかし、館長になり、「隠すことはできん」と覚悟せざるを得なかった。老いた母に初めて被爆した時のことを聞いた。

 父は、勤務先の広島駅近くの広島鉄道局で被爆死した。8月10日、畑口さんを身ごもっていた母は、父を捜すために市内に入り、全焼した鉄道局跡で父の懐中時計とベルトのバックルを見つけた。母は、この二つと近くにあった骨を持ち、自宅の大野村(現・廿日市市)に帰った。母はそう教えてくれた。

     *

 館長になって、核廃絶などをテーマに講演し、自分が胎内被爆者だと語るようになった。だが、体験談があるわけではない。言葉に重みがない気がしていた。

 98年のインドでの原爆展に、…

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