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清水弘士さん:広島県被団協事務局長

 《記憶を受け継ぐだけでは続かない。若い人たちがそれを受け入れ、考え、行動できる場を積極的につくり出していくことが不可欠》

 広島県原爆被害者団体協議会(県被団協、坪井直〈すなお〉理事長)の事務局長に就いて、1年あまり。清水弘士(ひろし)さん(73)は、朝日新聞社の70年アンケートに自らの信念を書いた。「命のある限り、被爆体験を語り継ぐ」と訴え続ける坪井理事長(90)ら被爆者たちに触れ、「被爆者限りの運動で終わらせてはならない」と使命感が芽生えたからだ。

 2月に大学生らを交えて委員会を結成。4、6月には、被爆者援護や継承をテーマに若者向けの講座やパネル討論会を催した。8月に広島であった日本被団協の集会で報告し、呼びかけた。「被爆体験をどう受け継ぐか、まじめに考えている若者がたくさんいると分かった。若者と核廃絶の取り組みを強めましょう」

 3歳のとき、爆心地から約1・6キロの広島市吉島町(現・広島市中区)の自宅で被爆した。10歳上の兄は西城町(現・庄原市)の学徒動員先にいたが、仕事に出ていた父を捜すために広島市内へ入り、被爆。職場で被爆した父は、全身血だらけで翌日に帰宅したが、2カ月後に亡くなった。

     *

 「ぞろーっと歩く負傷者や廃虚で手を合わせている母親の姿など、ぼんやりとしか記憶が残っていません」。母から聞いた話によると、広島駅前の1部屋2畳のバラックで、母、兄と3人で暮らした。昼間は仕入れてきた陶器を販売し、夜は同じ場所で3人が身を寄せて寝た。母は幼い清水さんをリヤカーにくくりつけ、ともに行商に出掛けた時期もあったという。

 「母は休みの日はずっと横になっていました。被爆の影響があったんでしょう。私には、笑った母を見た記憶がありません」。自身も中学生までの10年間ほど、ひどい下痢や鼻血、倦怠(けんたい)感に悩まされ続けた。

 生活の足しに、と中学2年から…

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