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吉岡幸雄さん:広島県原爆被害者団体協議会副理事長

 《被爆者の真の願いを実現する道は、核兵器の全面的な廃絶を、遠い将来ではなく、今すぐにやらなくてはならない》

 県原爆被害者団体協議会(佐久間邦彦理事長)の副理事長、吉岡幸雄さん(86)=広島市南区=は朝日新聞社の70年アンケートに強い決意を記した。「核廃絶は、わしら生き残った者の責務じゃ」と話す。

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 70年前の8月、松本工業学校(現・瀬戸内高校)の2年生だった。吉岡さんのクラスは2班に分かれ、5日と6日、爆心地から約800メートルの広島市水主(かこ)町(現・中区)で建物疎開に動員された。副級長とのじゃんけんに勝った級長の吉岡さんの班は5日に、副級長の班は6日に建物疎開にあたることになった。

 6日朝、吉岡さんは父と富士見町(現・中区)に出かけ、爆心地から約1・5キロの鶴見橋の西で爆風に吹き飛ばされた。気を失い、「逃げろ」という父の声で目を覚ました。額は内出血で腫れ、やけどをした背中がヒリヒリと痛んだ。仁保町(現・南区)の自宅に歩いて帰り、母に迎えられると、精根尽きて再び気を失った。背中、右足、両腕をやけどしていた。

 10日間、こんすい状態が続いた。やけどは化膿(かのう)して、ウジがわき、完治に半年かかった。背中と右足、両ひじにケロイドも残った。父は3カ月後、全身に紫斑が出て亡くなった。6日に建物疎開にあたった級友23人も全員命を落とした。「わしがじゃんけんで23人殺した」と罪悪感にさいなまれた。

 広島商工局(現・中国経済産業局)に就職したが、罪の意識は消えなかった。倦怠(けんたい)感に襲われる「原爆ぶらぶら病」と呼ばれた被爆者特有の症状にも悩まされた。「あのまま意識を取り戻さなければ火に巻かれて死ねたのに、なぜ父はわしを助けたんか」。何度も自殺が頭をよぎった。

 同僚から誘われた労働組合の活動で被爆体験を話すと、黙って聞いてくれた。「わしが語ることで級友たちも浮かばれる」。運動で核兵器廃絶を達成することが、罪滅ぼしだと思った。それから60年以上、平和運動に取り組んできた。

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 《(日本は)アメリカの核の傘に入っていて、アメリカの顔色を見ながら国際的発言をしている。唯一の被爆国だから断固世界に向け核廃絶を唱えられる権限があるのにと思う》

 海外で被爆体験を語ってきた。…

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