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 11月8日までとなる東京モーターショー。1954年の第1回から今回の第44回まで、ずっと変わらず展示の主役であり続けているのは、各メーカーが競って打ち出すコンセプトカーだ。高度成長期やバブル経済などの勢いがあった時代に比べ、ここ最近の出展内容は「市販前提のプロモーションばかり」「夢がない」などと物足りなさを嘆く声もある。半面、都市化や高齢化をより意識し、他国のモーターショーにはない先進性を評価する指摘もある。モータリゼーションを彩ったクルマたちをその時代背景とともに振り返り、社会や生活の中で変遷してきた位置づけと将来の姿を探った。

庶民の憧れを投影

 マイカー所有自体が庶民の憧れだった50年代。前身が軍用飛行機メーカーだった富士重工業は、58年に「スバル360」を発表する。通商産業省(当時)が産業振興の一環として各メーカーに求めた要件「国民車構想」に沿った軽乗用車だ。飛行機設計のノウハウをつぎ込み、軽量なフルモノコックボディーに独創的なサスペンションを組み込んだ。

 高速道路網が整備され始めた60年代。62年に鈴鹿サーキット(三重県鈴鹿市)が完成すると、国内メーカーは「日本グランプリ」などのレースで高速走行性能を競い、販売プロモーションにつなげた。

 64年のマツダ・コスモスポーツは、のちに同社の代名詞となるロータリーエンジン(RE)を初めて搭載。市販に踏み切ったのも世界で初めてだった。未来的なデザインから、特撮番組「帰ってきたウルトラマン」の劇中車に採用され、子どもたちの憧れの的だった。

 当時は乗用車も手がけていたトラックメーカーの日野は、65年にレース参戦を意識した「コンテッサ GTプロトタイプ」を発表。同社の大衆車「コンテッサ」を名乗るものの、見た目も中身も、FRP製のボディーに4輪ディスクブレーキを備えた完全なレーシングカー。出場には至らなかったが、ファンはレース大会の盛り上がりに期待した。

 70年代のオイルショックは、ガソリンエンジンに代わる次世代の動力源の模索をうながした。75年にトヨタが出展した「センチュリー ガスタービン ハイブリッド」は、航空機などで用いられるガスタービンエンジンを、なぜか最高級セダンのセンチュリーに載せた実験車両。ボディー前方を伸ばして見た目の迫力も増している。

 出展内容のアクの強さでピークと言えるのが、千葉・幕張メッセでの初開催となった89年だ。時代は、バブル経済のまっただ中だった。

 特装車を手がける日産子会社のオーテックジャパンが、イタリアのデザイン工房と開発した「オーテック ザガート ステルビオ」。アルミ製ボディーに総革張りの内装をしつらえ、1900万円近い価格で市販された。ただ、ボンネット一体型ミラーなど大胆すぎるデザインからか、不人気に終わった。

 トヨタは、何の変哲もないスペックの大衆車に、羽根状に開くガルウィングドアを備えた「セラ」を発表。こんな奇抜なクルマが専用設計で市販されたことが、今となってはにわかに信じがたい。

都市化や高齢化を見据えた提案

 はなっから量販を期待せずに、ブランドイメージの向上やラインアップの拡充のために試作・市販されてきた個性的なコンセプトカーの数々。しかし、近年は、そんなファンに夢を与えるような出展は少なくなったようにもみえる。モータージャーナリストの小川フミオさんは、「バブル経済期と違って、今は一車種の失敗でもメーカーの経営を揺るがしかねない。出展内容も堅実にならざるをえない」と分析する。

 若者のクルマ離れの影響もあり、コンセプトカーの出展台数はかつてほど多くはない。東京モーターショーの入場者数をみても、91年の約201万人をピークに減少が続き、2013年は約90万人にとどまった。

 こうした背景もあり、ここ最近は若者を意識した派手なクルマが減る一方で、都市化や高齢化の進展を視野に入れ、地味ながら意欲的な試作車が目立つ。

 13年には、トヨタが二人乗りのバイクのような超小型電気自動車(EV)を出展。今年はダイハツが車いすを畳まずに積める「ノリオリ」を発表した。バリアフリー化によって運転や所有へのハードルを下げ、小回りがきいて使い勝手の良さそうな移動手段の展示が増えている。

 小川さんは、「モータリゼーションの先を見据えた現実的なソリューション(解決策)の提案が、他国のショーに比べても多い。その意味では先進的なショーと言える」と評価。次回以降の出展内容に期待する。(北林慎也)

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