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 被爆70年に合わせて朝日新聞が実施した被爆者アンケートには、5千人以上の被爆者が回答を寄せてくれた。体験や思いをつづった言葉にひかれ、記者が会いに行った。(年齢は今年8月の長崎版掲載時のものです)

原田久男さん(87)福岡県福津市

 その名前を見つけたとき、思わず声を上げた。被爆者へのアンケートの回答に、記者(34)の親戚の名があったのだ。原田久男さん(87)=福岡県福津市。回答には被爆後に「姉とおじが迎えに来てくれた」と書かれている。「おじ」とは私が生まれる前に亡くなった祖父のことだった。身内に被爆者がいるとは思いもしなかった。久男さんと祖父の足跡をたどった。

 久男さんは私の父(64)のいとこで、盆や正月に何年かに一度会う「親戚のおじさん」だ。

 被爆時、福岡県の久留米工業専門学校(現在の久留米高専)1年生だった久男さんは学徒動員にかり出され、8月1日に長崎市の三菱兵器大橋工場に来たばかりだった。9日は体調を崩し、爆心地から1・5キロの西郷寮で寝ていた。

 「原爆の悲惨な様子は何ひとつ見とらんのです」と久男さんは話す。

 原爆が炸裂(さくれつ)した瞬間は記憶にない。気がつくと寮の外に投げ出されていて、土手の草むらが目に入った。額から血が流れており、工専の同級生の肩を借りて寮から線路まで丘を下った。夕方、そこに来ていた救援列車に乗せられた。

 貨車の中は真っ暗。「痛い、苦しい、といううめき声を聞いたが、何も見えなかった」。横たわったすのこのような板敷きが痛かったのを覚えている。

 救援列車は9日に4本運行され…

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