[PR]

 原爆投下から70年。今もなお放射線への不安を抱えながら、次の世代に思いを伝えようとする人たちがいる。福岡県内で被爆者健康手帳を持つ人は6970人(3月現在)。広島県、長崎県に次いで3番目に多い。朝日新聞の「被爆70年アンケート」に寄せられたメッセージの中から、福岡県内の5人の被爆体験や願いを紹介する。(年齢は今年8月の福岡県内版掲載時のものです)

河村信子さん(85)福岡県八女市

◆30年後の人々に――《戦争ほど残酷なものはないのです。戦争ほど惨めなことはないのです》

 忘れなきゃ、と心の奥に被爆体験をしまい込んできた。河村信子さん(85)=八女市=は戦後40年以上、体験をだれにも話さなかった。「でも、自分は何か使命があって生かされていると、思ったんです」。1945年の原爆で仲間の女学生は亡くなり、河村さんは生き残った。目の前に青々とした水田が広がる自宅の一室で、語り始めた。

 あの日、河村さんは長崎原爆の爆心地から北へ2・3キロにある三菱兵器住吉トンネル工場(長崎市)にいた。瓊浦(けいほ)高等女学校4年の15歳。学徒動員でその年の6月から、山腹をくりぬいたトンネル内で魚雷の部品を造っていた。

 8月9日午前11時2分。裸電球の光がパッと消えた。停電でしばらく仕事を休めると思った瞬間、「ゴォー」というものすごい音がし、とっさに作業台の下に潜り込んだ。爆風が吹き込んできたが、トンネルが交差した四つ角にいたのが幸いした。眼鏡が飛んだだけでけがはなかった。

 しばらくして外に出ると、きのこ雲が市街地上空に立ち上っていた。街は火の海で、体が水ぶくれした人が歩いているのを見た。トンネル内に運び込まれてきたのは、触ると皮膚がずるっとむける人、やけどを負った人は男女の区別もつかない。「現実なのか、何なのか、白昼夢のよう。怖がりだった自分が何も感じなくなっていた」

 トンネルは6本あり、幅約4・…

有料会員限定記事こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

有料会員限定記事こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

有料会員限定記事こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

有料会員限定記事こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

980円で月300本まで有料記事を読めるお得なシンプルコースのお申し込みはこちら