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 8日は太平洋戦争が始まってから74年。障害者の人たちが戦争とどのように向き合い、いま何を伝えようとしているのか、2回に分けて探ります。

戦後70年 障害者と戦争:上

 黒﨑時安さん(86)=兵庫県洲本市=には、いまも脳裏にこびりついている記憶がある。

 70年前の1945年3月13日深夜、米軍のB29爆撃機の大編隊が大阪の上空に襲来。無数の焼夷(しょうい)弾を落とし、街は火の海になった。当時15歳。耳がほとんど聞こえない黒﨑さんに空襲警報は届かなかったが、地響きは感じた。逃げ惑いながら大和川の堤防にたどり着き、朝まで息を潜めた。

 その数年前、大工の父から「耳が聞こえない子を産んだ」と責められ続けた母が死んでいた。心労だったのか。黒﨑さんは暴力を振るう父と暮らしていけないと思い、家を出た。いろんな所に身を寄せている時に起きたのが大阪大空襲だった。その後、生きていくために軍需工場で爆弾の信管づくりの職を得た。

 戦時下の日本は「国民総動員」のかけ声のもとで、障害者も「歯車」として国家のために働いた。日本聾啞(ろうあ)協会(当時)はそうした聴覚障害者を「聾啞産業戦士」とたたえた。視覚障害者の中には、敵機の音を聞き分ける「防空監視哨(しょう)員」や鍼灸(しんきゅう)・按摩(あんま)で兵士を慰問する人たちも。寄付金を集め、国へ軍用機を献納した障害者団体もあった。

 「今も昔も障害者福祉は必要な政策。だが、戦時下では教育や報道も国と一体になり、国家への貢献を優先させた」。日本盲教育史研究会で事務局長を務める岸博実さん(66)はこうみる。「障害者の中には差別され、虐げられる人たちも少なからずいた。自らの存在を確認するために『国の役に立ちたい』と思い、戦争に絡め取られていった側面もあるのではないか」

 黒﨑さんも周囲に「国のために…

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