「焼け跡闇市派」を名乗り、常に戦争反対の立場から活動を続けた作家の野坂昭如さんが9日、亡くなった。強烈な社会批判の言葉の裏には、戦争での空襲体験や、幼い妹を失った悲しみに根差した弱者への愛があった。

 誕生後まもなく母が亡くなり、神戸の貿易商の養子に。1945年6月、14歳の時に神戸大空襲に遭い、義妹は終戦1週間後に栄養失調で亡くなった。この体験が、直木賞受賞作でアニメ化された「火垂るの墓」に反映された。その後放浪の末に親類を頼って上京、窃盗容疑で逮捕され少年院に収容されていたが、新潟の実父(のちの新潟県副知事)に引き取られる。その間の体験から、戦中派でも戦後派でもない「焼け跡闇市派」を自称する。

 早稲田大在学中にまき割りやバーテンダーなどさまざまなアルバイトを経て、作曲家三木鶏郎の冗談工房に入社。コントやテレビ番組のシナリオ作家、CMソングの作詞家として活躍するかたわら、63年に発表した小説「エロ事師たち」で、作家として注目される。享楽と猥雑(わいざつ)とユーモアの中に社会批評を盛り込んだこの作品は三島由紀夫に絶賛され、今村昌平監督、小沢昭一主演で映画化された。

 社会の底辺で明るさを失わない人びとを描く一方、一貫した反骨・反権力の姿勢は多くに支持された。わいせつ文書販売の罪に問われた「四畳半襖の下張」の刑事裁判では、旧制新潟高校の先輩である作家の丸谷才一が特別弁護人になり、五木寛之さんや井上ひさし、吉行淳之介、開高健、有吉佐和子らも証人に立った。

 文筆家であると同時に行動の人でもあった。74年、韓国の言論弾圧をめぐる日本ペンクラブの内紛を批判し、改革を求めて入会した。83年の夏、参院に初当選し「過激にやる」と宣言、旧総評の大会で「存在価値はあるのか」と大批判もした。半年後、「田中角栄元首相が辞職しないのなら、落とそう」と衆院選旧新潟3区から突然の出馬。「農業の復活」「住民の自立」を訴えたが落選した。01年の参院選にも出馬、敗れはしたが、小泉純一郎元首相の靖国神社参拝などを批判した。

 「戦争でひどい目に遭うのは、年寄りや子供など力の弱い者」と、常に戦争反対の立場を貫いた。イラストレーターの黒田征太郎さんと組んで「戦争童話集」を刊行。03年のイラク戦争後には、「野坂塾」の塾長として毎月直接戦争の悲惨さを訴えた。同年、脳梗塞(こうそく)で倒れ、右半身のマヒを抱えながら闘病生活を送っていたが、口述筆記で雑誌や新聞にエッセーを発表していた。今年8月、朝日新聞に、若い読者に向けた戦争を考えるためのエッセーを連載した。