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阪神大震災21年 あのとき10代だった:4

 会場を埋め尽くした若者たちがロックバンドの演奏に拳をあげた。

 昨年4月29日、神戸市中央区のワールド記念ホールと神戸国際展示場を会場に開かれた音楽イベント「COMIN’KOBE」(カミングコウベ)には計4万人が集まった。11回目のテーマは「阪神・淡路大震災を語り継ぎ、神戸を活性化させる」。盛り上がる会場を見て実行委員長の松原裕(ゆたか)さん(36)=神戸市兵庫区=はいつも願う。「何かに気づき、人のために動く。そんなきっかけになればいいな。僕みたいに後悔しないよう」

 震災に対し、ずっと後ろめたさがあった。心のつかえが取れたのは最近のことだ。

     ◇

 中学3年だった21年前の1月17日、神戸市北区の自宅で体が跳ね上がるような揺れに目覚めた。本棚が倒れたが、けがはなく家族も無事だった。状況が分からず学校に向かったが、教諭から帰宅するよう言われた。

 テレビでは、JR三ノ宮駅近くで潰れたビルの映像などが流れていたが、「よその街の出来事」という感覚だった。駅がある中央区は建物の全壊が約6300棟に上り、被害の激しかった長田、東灘、灘の各区では1万棟を超えたが、区の大半が六甲山の北側にある北区は約270棟。「三宮は遠出する場所で自分の街でなかったから」

 同区内の県立高校に進学。友人とバンドを組み、のめり込んだ。三宮にも遊びに行くようになったが、復興の歩みはさほど気にならなかった。

 卒業後、バンド仲間と関東のライブハウスを回った。「神戸から来ました」。舞台であいさつすると、演奏後に観客から「大丈夫でしたか」と声をかけられた。ライブハウスの店長は「あのとき何もできなかったから」と料理をごちそうしてくれた。

 「大変でしたよ」と何げなく答えるうちに、罪悪感が募った。家族を亡くすつらさや、家や仕事を失う苦労があまたあったのに、「自分のことばかり。そんな自分が情けなくなった」。

 神戸に戻り、アルバイト先の先…

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