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【2009年3月26日 朝刊社会面】

 火災で入所者10人が死亡した群馬県渋川市の「静養ホームたまゆら」。路上で行き倒れたり、介護する人がいなかったりと、安住の地をどこにも見つけられなかった人たちが集まっていた。

 現在も行方不明のままで、焼死したとみられている久保田文雄さん(55)は、東京都墨田区福祉事務所の紹介で入所した。群馬県伊勢崎市出身。「気遣い屋で穏やかで。いいやつだった」と、実家近くに住む知人らは回想する。

 知人らによると、両親が約20年前に死亡した後、久保田さんはしばらく実家で独り暮らしだった。生まれつき知的障害があり、親族はみな引き取りを渋ったという。

 地元の建設会社で電気技師として勤めていたが解雇され、その後、自宅が火事になった。職を求めて上京し、日雇いの仕事をしていたが、路上生活をするようになった。行き倒れて墨田区に保護されたのが9年前。3年ほど前に入所した。

 知人の男性は昨年6月、たまゆらを訪れた。

 「あねごのところへ行きたい。もう一度やり直したい」。久保田さんは、遠方に嫁いだ姉と暮らすことを望んでいた。男性はそのことを姉に伝えたが「経済的に苦しくて、面倒が見切れない」と断られた。

 尾池純さん(72)は25日に身元が確認された。

 知人で、前橋市在住の男性(77)はテレビで火災を知って現場に駆けつけた。「まさか、こんなところに入所しているとは」

 20年ほど前、尾池さんが前橋に住んでいた時に趣味の盆栽を通じて友だちになった。だがその後、連絡が取れなくなっていた。

 同じく身元が確認された東京都三鷹市出身の沢村晴雄さん(77)の親族は、入所の経緯を「介護する者がいないので」と説明した。都内で高齢者向けの施設を探したが「順番待ちで空きがない」。だが、たまゆらは「すぐに入れてもらえて助かった」という。

 火災当時、たまゆらで暮らし難を逃れた東京出身の60代の男性は、一昨年に入所した。糖尿病で左足を切断した。住んでいたアパートの部屋は2階だったので退院後には上り下りに苦労した。役所に「住むところを探してほしい」と相談するとこんな答えが返ってきた。「群馬にこういうところがあるけど行くかい?」。それがたまゆらだった。

 「えらいとこ来ちゃった」。焼け跡のそばで男性はいった。

 ●「障害の軽い者が重い者の面倒をみる」 身元3人判明、1人は救助中に死亡か

 渋川署は25日、別館「赤城」でみつかった7人の遺体のうち、3人の身元が確認されたと発表した。同署によると、3人は渋川市の大友良隆さん(87)、前橋市の尾池純さん(72)、東京都三鷹市の沢村晴雄さん(77)。DNA鑑定で判明した。県警は残る4人の身元についても引き続き調べている。

 県警によると、大友さんは居室部分と食堂の間にある引き戸の食堂側で倒れていたという。引き戸は夜間、徘徊(はいかい)防止のため食堂側からつっかい棒で閉じられていたとされ、県警は大友さんは食堂側からつっかい棒を外して他の入所者を助け出そうとして力尽きた可能性があるとみている。大友さんの居室は、他の入所者と異なり、引き戸を通らずに食堂に出られ、食堂は二つの出口で外に通じていた。死因は一酸化炭素中毒だった。

 たまゆらの入所者は「障害の軽い者が重い者の面倒を日ごろから見ていた」との証言もあり、大友さんも今回の火事に際して、そうした行動をとったと見られている。

 沢村さんは引き戸の居室側、浴室付近で一酸化炭素中毒で亡くなっていた。別館「赤城」には建物西側にも出口が1カ所あったが、西側の出口は火元とされる部屋に近く、出火当時は近づけなかったとみられる。捜査関係者によると、沢村さんら自力で移動できた3人は逃げ道を求めたものの引き戸が開かず、隣にある浴室に逃げ込み、倒れた可能性が高いという。尾池さんは足が不自由だったといい、居室内で倒れていた。死因は焼死だった。

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