【動画】松山大耕さんから受験生へ=瀬戸口翼撮影
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 外国人に自ら英語で禅を紹介し、日本の禅宗を代表して前ローマ法王に謁見(えっけん)。そんなグローバルに活躍する東大卒の僧侶の松山大耕さん(37)が、英語の勉強で最初につまずいたのは、誰もが一度は見たことがあるであろう単語「Mary」でした。

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 京都市にある臨済宗大本山妙心寺退蔵院という禅寺で副住職をしています。この寺の長男として生まれ、小さいころから「後継ぎ、後継ぎ」と言われて育ちました。でも、継ぐつもりはまったくなかった。間近で見ていた修行がすごく厳しいんですよ。それに、古い世界という印象があったこともあるのですが、友だちに「なんで勉強してんねん。勉強せんでも寺継いで、坊さんになったらええやん」と言われたのが一番の理由でした。自分がどれだけ努力をしても、勝手に将来が決まっているのがいやだった。自分の将来は自分で決めるんだ、そう思っていました。

 そんなこともあり、中高は自宅近くのカトリック系の学校に進みました。中学はバレーボール部。ガチンコの体育会系で、朝練に放課後練習、土日は練習試合。休みはお盆と正月ぐらい。監督も厳しかった。中3の夏に試合で負け、このままだとブラックな3年間で終わってしまう。そう思って夏休みに10日間、アラスカに一人旅に行きました。たまたまテレビで見た風景が美しくて。氷河を見たり、サケを釣ったりして楽しんだんですが、英語がまったくわからなかった。バレーしかしておらず、まじめに勉強していなかったんです。

 これは勉強せなあかんかなと、夏休み明けに駿台予備校の入塾テストを受けました。そしたら英語と数学が見事に0点。俺できひん。ものすごいショックでした。塾に入らせてもらうことすらできず、自分で勉強するしかなかった。中1の教科書から全部引っ張り出し、単語帳も買い、そこから真剣に勉強を始めました。

「Mary」につまずいた

 英語で最初につまずいたのは「Mary」という単語でした。なぜ「Mary」を「メアリー」と読むのか。それまで使っていたローマ字のように「Meari」とならないのか。そこでまず詰まっていたんです。

 中3でのショックを受けて見直したときに、MaryはMaryだからMaryなんだと納得した。リンゴがなぜリンゴなのかは、リンゴだからリンゴなんだ、それと一緒です。大事なことは、わかっているふりをしないということですね。わからんところをわからんと、ちゃんと認めることが第一歩です。

 英語は丸覚えでした。学校の英語の先生が厳しくて、シドニィ・シェルダンの500ページぐらいある小説をポンと渡し、定期テストごとに150ページほどずつ範囲を区切って、そこに出てくるフレーズを丸ごと覚えろと。入試テクニックなんてものではありませんでした。

 現在、寺を訪れる外国人観光客に禅を紹介したり、世界の宗教家と交流をしたり、日本文化を英語でお伝えしています。2011年には日本の禅宗を代表して前ローマ法王に謁見(えっけん)しました。そこでは教科書に出てくるような「This is a pen」なんて誰も言いません。日本語の日常会話でも「これはペンです」なんて言いませんよね。

 本や映画、音楽などを教材に、生きた英語を学ぶことができたことが、いまに生きていると思います。英語の成績もそこから少しずつ上がってきました。高3のときは、東大模試の全国順位で3位より下になったことはありませんでした。あのとき0点をとったおかげで頑張れたのだと思います。

望まれてなれる仕事はなかなかない

 大学はもともと地元の京大に行く気満々でした。そしたらうちの住職(父親)から、東京に行けと言われたんです。京大だと、そのまま一生京都にいることになるかもしれない。東京の大学に行ったら、俺が学費を全額払う。でも、京都の大学に行くんだったら全部自分で払いなさいと。普通逆だと思うんですけどね。

 東大に合格後、今度は住職から「入学後はお寺の住み込みをしなさい」と言われました。学費を出してもらっているからしゃあない。何も考えずにわかりました、と言っちゃったんです。約1万坪の東京・麻布の寺に、書生は私1人だけ。平日は午前6時前に起き、門を開け、お経をあげる。雑巾がけ、庭掃除、風呂洗いをしてからご飯いただき、お皿を洗う。すべて終えるのに2時間ほどかかりました。門限は午後6時。飲み会があるときは事前に連絡し、翌朝のおつとめまでに帰る決まりでした。休日は法事の手伝い。2年間それを続けました。制約が多く、イメージしていたキャンパスライフとはまったくかけ離れていましたが、逆に変な道に外れなくて良かったと思っています。

 大学3年生になると友人が就職を意識し始め、資格試験や公務員試験に向けてダブルスクールに通うようになりました。私も弁護士や官僚になろうと考え、資料を取り寄せはしましたが、友人たちの姿をみて、そうした仕事は自分がやらなくてもいいなと思い始めました。私は寺に生まれ、多くの方々にお世話になりました。そうした方々が私に寺を継いでほしいと思ってくださったことが大きな理由でした。いまの世の中、首を切られることはあっても、周りの人に望まれてなれる仕事はなかなかない。そう思い、寺を継ぐことを決めました。

緊張するのは見込みがあるということ

 年間3万人弱の修学旅行生が座禅をしに来ますが、夢や、やりたいことが見つからないという子どもたちが多くいます。昔は先生や大工、農家といったように仕事の選択肢が30個ぐらいしかなかったと思うのですが、いまは無限にあります。15歳や18歳が、自分にはこれしかない、というものをそんな短期間で無限の選択肢から見つけることは難しくて当たり前です。私自身も寺を継ぐと決めるまでに20年ほどかかりました。世の中の移り変わりは早い。10年、20年後、いまの高校生の3分の1ぐらいは、現在の世の中に存在していない職業に就いているのではないでしょうか。

 その一方で、せっかく物事を始めたのにすぐにやめてしまう子どもたちも多いですね。最近は「うざい」「めんどくさい」という言葉をよく聞きます。「うざい」「めんどくさい」と言ってもいいんです。でも、最低限やってから言えと。スーパーマリオでも、遊び始めたときはクリボーにやられてしまうんですよ。でも何回か続けていると、クリボーを踏んだり、亀の甲羅を蹴って倒すことができたりすることに気づき、先に進めるようになります。

 僧侶の修行も最低3年と言います。大学院修了後に3年半修行をした埼玉の寺から京都までの約600キロを托鉢(たくはつ)をしながら中山道を歩いて帰ることにしました。昔は修行をした寺から自分の寺まで歩いて帰る決まりがあったんです。でも、門を出て100メートルで後悔しましたね。やっぱり遠い、そして荷物が重い。荷物はお経の本やカミソリ、食器など10キロ近くあったんです。つばをかけられたり、うるさいと怒鳴られたりしたこともありました。

 一方でうれしいこともありました。2日目に台風に遭い、暴風雨の中を20キロ近く歩き、見ず知らずのお寺にたどり着きました。和尚さんに一晩泊めていただけないかとお願いをしました。裸足にわらじを履き、ずぶぬれで袈裟(けさ)がどろどろの私に対し、和尚さんはよう来たと、10月でしたがわざわざストーブを出してくれました。温かいお風呂を用意して、うな重までとってくれたんです。自然と涙があふれてきました。どんなことでも続けてみないと、その善しあしはわかりません。まずは実践です。

 よく緊張しないようにするにはどうしたらいいかと聞かれます。その人が緊張しないのだとしたら、それは受かる見込みがまったくないか、答えをあらかじめ全部知っているかのどちらかです。そうでなければ、どれだけ優秀な人でも緊張します。私も当時の文系では日本でもトップクラスにいたと思いますが、本番では緊張しました。いまでも夢に出てくるんです、勉強をやっていないのに入試が明日だって。緊張するということは、合格する見込みがあるんだなと思いましょう。

 受験までの残り時間は限られています。やることは無限にありますが、すべてはできません。その中でこれ以上できないというところまで勉強し、自分自身に納得ができるかどうか。最後までやりきることが大事です。(聞き手・篠健一郎

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 まつやま・だいこう 臨済宗大本山妙心寺退蔵院の副住職。1978年生まれ、京都市出身。洛星中学・高校から東大文科二類に合格。東大大学院農学生命科学研究科修了。外国人に自ら英語で禅を紹介したり、寺のふすま絵を若手芸術家に描かせたりするなど、新しい試みに取り組む。観光庁の「VISIT JAPAN大使」。著書に「大事なことから忘れなさい」(世界文化社)。37歳。