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 104歳で現役医師の日野原重明にとって、地塩寮(京都市左京区)は忘れがたい場所だ。その名は「汝(なんじ)らは地の塩なり」という聖書の一節に由来する。「世の中に、神様に、必要とされる人間であれ、という意味でね。表札の文字まで、いまも目に浮かぶよ」と懐かしむ。

 寮は「京都大学YMCA」という団体が運営する。1899年、京大の前身、京都帝国大学のクリスチャンらで結成された団体で、1913年に地塩寮を建てた。

 32年に京都帝大の医学部に入った日野原もここで暮らした。当時は男子寮で2階建て、個室は畳敷きだった。寮母がご飯、みそ汁、お新香の質素な朝食を作ってくれた。物足りなかったが、ドイツ人留学生の朝食を見て考えが変わった。「彼は黒いパンとコーヒーだけ。シンプルな朝食もいいな、と気づいたね」。日野原の朝食や昼食はいまもジュースやミルク、クッキーと簡素だ。

 たまに奮発し、試験前夜に友人と鶏鍋を囲んだ。「面接官は磯部先生か、鳥飼先生。厳しい鳥飼先生に当たらないよう、トリは食べてしまおうと」。翌日の面接官は鳥飼先生だった。答えを間違えるたび、先生は手元の円グラフを少しずつ塗りつぶす。グラフで間違いの割合を計っていた。「半円になる寸前で終了。落第せずに済んだの」

 寮とつながる京都YMCA会館の2階で、よくピアノを弾いた。教会の聖歌隊の指揮を務め、作曲家フォーレのレクイエムの楽譜などを読み込んだ。YMCA会館を訪ねると、古びたアップライトがあった。日野原に写真を見せると「見覚えがある」と目を細めた。

 いま地塩寮には30人ほどが暮らす。かつてはクリスチャンしか入寮できなかったが、いまは入寮資格から外されていて、クリスチャンは数人だ。あらかじめ寮父に頼むと夕食を作ってもらえるが、大半の寮生は自炊する。寮にはシャワーしかなく、冬は近くの銭湯で体を温める。「良いことがあったときなど『ご褒美』として行きます」と京大農学部3年の奥村憲史さんは話す。ストイックな暮らしぶりに感心した。

 日野原にはつらい記憶がある。37年、京都帝大付属病院で担当した16歳の少女が結核性腹膜炎で亡くなった。「『私は死ぬんだ』と気づいた彼女に、僕は『頑張れ、頑張れ』と。ほかに言葉が思いつかないんだね」。自室で苦悶(くもん)した。医師として患者の死にどう寄り添うか。その問いの出発点になった。

 「そろそろ時間。今日も僕を待っている人たちがいる」。そう言うと車椅子に乗り、聖路加国際病院(東京都中央区)の緩和ケア病棟へ向かった。白衣を羽織るとき、まなざしの中に一瞬、厳しく張り詰めたものがのぞいた。=敬称略(寺下真理加)

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