[PR]

 ハンセン病に対する国の隔離政策で差別や偏見が助長され、家族の離散や苦しい生活を余儀なくされたなどとして、元患者の子どもら家族59人が15日、国に総額2億9500万円の損害賠償と謝罪などを求め、国家賠償法に基づく初の集団訴訟を熊本地裁に起こした。

 隔離政策の違憲性を認めた2001年の同地裁の判決が確定後、国は元患者に謝罪し、補償を続けており、原告側は「家族への国の責任も認められるべきだ」と訴えている。3月29日には第2陣の熊本地裁への提訴を予定しており、全国から参加する原告は計150人を超える見込みだ。

 訴状によると原告は、患者を隔離した国の誤った政策で社会に根付いた偏見によって差別され、平穏な生活を送る権利を侵害されたと主張。1人当たり500万円の賠償に加え、名誉回復のため新聞紙上への謝罪広告の掲載を求めている。

 原告弁護団によると、提訴したのは九州・沖縄や関西、東京、東北などの37~92歳。平均年齢は68歳で、元患者を親に持つ人がほとんど。肉親を強制的に療養所に収容され一家が離散したほか、結婚や婚約の破談や転職を余儀なくされた人が多いという。01年の熊本地裁判決は、遅くとも1960年以降、治療薬の普及などから隔離政策は必要性がなく違法だったと指摘した。今回の訴訟では「その前(60年以前)からも、今でも被害は続いている」と訴えていく方針。

 隔離政策の根拠となっていた「らい予防法」が96年に廃止されて近く20年となり、今年3月末で損害賠償を請求できる「除斥期間」が過ぎるため、弁護団は全国で原告を募っている。

 弁護団の徳田靖之共同代表は会見で「(差別を恐れ)声を上げられない家族たちは数千人いるはず。裁判を通じて被害を明らかにし、解放する場にするため、多くの人に参加してほしい」と話した。21日には弁護団が主催し、全国4カ所で一斉に電話相談に応じる。九州は菜の花法律事務所(096・322・7731)、沖縄は幸喜・稲山総合法律事務所(098・938・4381)で受け付ける。

 厚生労働省の担当者は「訴状を確認しておらず、報道以上のことは把握していないのでコメントできない」と話した。

(籏智広太)

 

父奪われ、今も白衣に恐怖心

 「大好きな父を突然、奪われた。国の過ちで家族を苦しめたということを認めてほしい」。首都圏の女性(70)は妹(68)と3月下旬に追加提訴する準備を進めている。

 一家5人で九州地方で暮らしていた。父は女性を「俺に似ている」と言い、どこにでも抱っこして連れ歩いた。だが、1950年9月の晴れた日、車に乗せられていった。当時28歳。5歳だった女性は走って追いかけたが戻ってこなかった。

 2年半後。兄も連れていかれた。女性は祖母に預けられ、家族はばらばらになった。父、兄が病気を理由にハンセン病療養所に強制入所させられたと知ったのはこのころだ。

 小学校では、同級生に「病気がうつるから近くに来るな」といじめられた。担任の男性教師に助けを求めると「どうしてお前も兄と一緒に行かなかったんだ」と突き放された。

 妹と療養所裏の崖を登り、人目をしのんで父に会いに行くようになったのは、小学3年のころ。父は喜んだが、よく白衣の職員に捕まり、全身に消毒用の粉をかけられて真っ白にされた。「当時は治療薬があったのに、どうして恐ろしい思いをしなければならなかったのか」。白衣を見ると恐怖心がよみがえる。

 妹は結婚差別を受けた。親族の一部は今も父や兄を「いなかったことにせざるを得ない状況」という。父が10年前に亡くなったとき、葬式に来た父方の親族は1人だけだった。「解決したと思われていますが、親族の絆は失われたままなんです」

(青木美希)

 

【ハンセン病】 らい菌による感染症。進行すると手足や顔に後遺症が残った。感染力は極めて弱いが、国は1907年に法律を制定して患者の隔離を開始。患者は全国13カ所の国立療養所に強制収容され、堕胎や断種も強いられた。戦後、治療薬の普及で完治する病気になった後も、隔離政策は96年の「らい予防法」廃止まで続いた。

 

<アピタル:ニュース・フォーカス・その他>

http://www.asahi.com/apital/medicalnews/focus/