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 福島第一原発事故からまもなく5年。京都地裁で2月18日、重要な司法判断が示された。国が避難指示などを出した区域外から京都市に自主避難した男性らに対し、個別事情を重視して約3千万円の損害賠償を支払うよう東京電力に命じたのだ。この判決文を「核といのち」の観点から見てみたい。

     ◇

 福島原発事故がもたらしたものを目の当たりにすれば、今後二度とこうした惨事を招かないためには、その根っこを断ち切った方がいいのではないかと、いつも思う。つまり、「お湯を沸かして発電する」という営みに原発を使わない、そもそも核エネルギーという制御の難しい大きなリスクを抱えたものには手を出さない、ということである。

 そうは言っても、5年前に福島で現実に起きてしまったことについては正面から向き合い、対処していかなくてはならない。

 その一つが、今も消えない放射線への不安だ。「安全だ」と言われても、放射線による健康リスクの考え方の違いから、避難指示区域の外側に住んでいても自主避難する住民たちがいる。その数は福島県の推定で約1万8千人にのぼる。

 この住民たちも「住み慣れた家に住む」という当たり前の生活を突如奪われたという意味では、まさしく「核がもたらした被害者」だろう。

 この自主避難について、2月18日に京都地裁(三木昌之裁判長)が示した判断は示唆に富んでいる。

 この裁判は、福島県内から京都市に自主避難した元会社経営者の男性とその妻子が約1億8千万円の損害賠償を東京電力に求めたものだ。判決は、この男性は原発事故が原因で不眠症やうつ病になって働けなくなったと認め、男性と妻に計3046万円の損害賠償を支払うよう東電に命じた。この男性は、東電が後に自主避難の賠償対象区域とするエリアに自宅があったが、原子力損害賠償紛争解決センター(原発ADR)による和解の道はならず、司法の判断を求めた。

 まず注目したいのは、判決が「自主避難の合理性を認められる期間」について述べたくだりだ。

 《本件事故は、我が国における未曽有の事態であり、原告らが自主避難し、本件事故による危険性が残存し、またはこれに関する情報開示が十分になされていない期間中、自主避難を続けることは相当であること、(中略)同日=2012年8月31日=までの間、自主避難を続けることには合理性を認めることができる》

 つまり、結果的には放射線量が健康に影響を与えると認められないレベルにあったとしても、情報が混乱してそれが十分に周知できない間は、自主避難する合理的な理由はある、としたのだ。

 巨匠・黒澤明監督の映画「夢」の中では、原発事故で漏れ出た放射線は種類別に色を帯びて目に見える設定にしてあったが、実際の放射線は目に見えない。そして、においもない。

 そんな放射線の量がはっきりしない段階では、それは危険性があると見なす――というのが、今回の判決の考え方である。命の安全を優先するリスク管理の立場からすれば、危険かもしれないものには近付いてはならないという、ある意味当然の考えだ。

 この延長線上で、判決は原発事故と男性の不眠症やうつ病との因果関係を認め、その治療費や就労不能による損害も認定した。言い換えれば、放射線そのものが直接的な病気を引き起こす可能性が仮になくても、避難に伴うストレスや心身への影響は原発事故による被害だと認めたことになる。

 この対極にあるのが、放射線が直接的な健康被害を及ぼさなければ原発事故の被害とはみなさない――という考え方だ。これは原発維持の立場とどこかで通底していると思えてならない。

 2013年6月、当時の高市早…

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