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 この夏、選挙制度が変わる。

 ちょうど70年前、敗戦後初の総選挙で女性参政権が実現した。そのとき以来はじめて投票年齢が引き下げられ、「18歳以上」になる。

 政治に参加できる権利は、かつては当たり前ではなかった。明治の自由民権運動で人々が声を上げ始めた。その拠点だった高知市にある婦人参政権発祥之地碑が、その一端を伝える。

 坂本龍馬の生誕地が近い、高知市上(かみ)町2丁目の市立第四小学校の校門脇。1987年に地元の女性が始めた100円募金が発展し、90年に建ったと聞いた。碑文にはこうある。「男女同権ハ海南ノ某一隅ヨリ始ル」

 このあたりで生まれ育った植田通子さん(66)は高知県明るい選挙推進協議会長を務める。高校などに出前授業に出かけ、石碑の由来を紹介する。

 「昔の人たちの努力があって今があるのを忘れないで」

 それは1878(明治11)年9月16日、県庁あての質問状に始まった。

 書いたのは後に「民権ばあさん」と呼ばれた楠瀬喜多(くすのせきた)。当時42歳。代々武術の家だったという旧土佐藩士の夫に4年前に先立たれ、戸主として税金を納めていた。創設間もない地元の地方選挙に出かけたところ「女は投票できない」と追い払われた。納税をやめると督促状が来たため行動に移した。

 「納税しているのに、女だからという理由で投票できないのはおかしい。権利と義務は両立するはず。投票できないなら税金も納めない」。県に突き返され、国に訴え出た。

 質問状についてその後楠瀬が発した言葉や文章を私は確認できなかった。ただ、大阪の新聞は「人、髯(ひげ)あるがゆえに貴(たっ)とからず、才智あるを以て貴しとせん」とその行動を紹介している。

 反響を受け、民権派の牙城(がじょう)だった上町町議会が2年後、20歳以上の戸主であれば男女を問わず選挙権、被選挙権を認めた。当時、各議会は独自の規則を定めることができた。龍馬の甥(おい)で運動指導者の坂本直寛らが県令(いまの知事)を屈服させた。

 そのころ「男女同権」は紹介されたばかりで浸透していたとは言えない。だが楠瀬は政治演説会に毎回欠かさず足を運んでいた。高知を訪れる若い民権活動家を自宅に泊め、後に衆院議長を務めた福島県の河野広中らとの付き合いもあったという。

 人間は平等に権利を持つ。実現するために国民の政治参加が必要だ――。そんな民権家らの主張と目の前の疑問が結びついたのだろう。楠瀬は晩年まで政治への関心を持ち続け、河野のつてで衆議院を4回傍聴した。

 植田さんは高校生らにこう語りかけるという。「せっかく勝ち取ってきた選挙権なんだから棄権するのはもったいない。身近な生活は政治に結びついている。選ぶ目を養ってほしい」

 楠瀬がかすかに動かした重い歴史の扉は、町村議会の規則制定権が政府に奪われ、4年後に再び閉ざされた。だが、人々は沈黙したままでなかった。

    ◇

 現憲法公布から70年。国民が手にした自由、権利、平和は、多くの先人が犠牲を払って目指したものでした。ささやかな抵抗から命がけの闘いまで、様々な人が時代を切り開こうと格闘しました。こうした反骨群像の年代記(クロニクル)をつづります。担当は阪神支局(兵庫県西宮市)の中村尚徳記者。まずは自由民権運動の発祥の地、高知から旅をはじめます。

■少女、「男女同等」と…

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