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 NHK大河ドラマなどで注目を浴びる戦国武将、真田信繁(のぶしげ〈幸村〉、?~1615)。約400年前、その信繁が大坂冬の陣で徳川方に大打撃を与えた「真田丸」は、「丸」ではなく「四角」だった!?――。なぞの出城の実像が近年、明らかになりつつある。

 豊臣方の信繁は1614年12月の大坂冬の陣で、大坂城と城下町を囲む「総構え」の堀の南に真田丸を築いた。上町台地北端にある大坂城は南からの攻撃に弱いため、出城に敵を引きつけて足止めする作戦。井伊直孝、前田利常らの隊に包囲されたが、信繁は上下2段の塀から鉄砲を撃ちかけ、時には奇襲に打って出て、徳川方に死者数千人ともいわれる損害を与えたとされる。

 「丸」は「本丸」「二の丸」などと同じく曲輪(くるわ、区画)の呼称で、必ずしも円形を意味しない。冬の陣後の和議に伴い、真田丸は破壊されたが、「大坂惣構(総構)」の図など多くの城郭図や配陣図は、総構えから南に突き出した半円形の曲輪として描いている。

 だが、城郭の考古学が専門の千田嘉博(よしひろ)・奈良大学長は、半円形ではなく、方形だったと主張する。根拠は広島藩主・浅野家に伝わる「諸国古城之図(しょこくこじょうのず)」(江戸時代初期)だ。

 全国の著名な廃城の城郭図を集…

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