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 71年前の3月13~14日、大阪に無数の焼夷(しょうい)弾が落とされた。太平洋戦争末期の米軍による大阪大空襲。惨禍の記憶が薄れつつあるなか、伝え、そして受け継ぐ営みは続く。

 「道頓堀川は熱風が吹き荒れ、御堂筋は炎の川のように見えたそうです」

 日曜の13日。観光客や家族連れらでにぎわう大阪・ミナミの繁華街で、森田敏彦さん(73)=大阪市天王寺区=が声を上げた。周囲には、「ピースウォーク 大阪大空襲を知る」に参加した20人ほどの人たち。全国空襲被害者連絡協議会・大阪のメンバーが掲げる71年前の写真と今の街並みを見比べ、思いを巡らせた。

 1945年3月13日深夜~翌14日未明、274機の米軍の爆撃機B29が押し寄せた。投下された焼夷弾は延べ1733トン。市中心部や沿岸部は焦土と化した。多くの市民が暮らす街へ、無差別に爆弾を落とされた事実を忘れてはならない――。空襲から71年を迎えた日に合わせ、ピースウォークが催された。

 一行が出発した大阪高島屋前。空襲の被害を補償・救済する法律がない現状が参加者に説明されると、たまたま近くにいた若い男性がつぶやいた。「震災の被害には補償があるけど、空襲にはないんだ」

 数分ほど歩いた一行が着いたのは寺院「大乗坊(だいじょうぼう)」。参加者の中に、近くに実家があったという吉田栄子(はえこ)さん(81)=大阪府田尻町=がいた。両親を含む家族9人を亡くしたこと、学童疎開中だった自分は生き残ったこと、親戚を頼っていろんな所を転々とした戦後のこと……。脳裏に71年間の記憶がよみがえったのか、吉田さんは少し遠くを見つめながら歩を進めた。

 北上し、十数もの劇場があった千日前へ。記念写真を撮る観光客らのそばで、焼け崩れた劇場の写真が掲げられた。若者たちが集う心斎橋のアメリカ村では、複合商業施設「ビッグステップ」が建つ地にあった学校の屋上から撮られた写真が紹介された。

 特別支援学校講師の赤松竜さん(54)=同市東淀川区=は「写真と比べると被害の大きさが分かります。子どもたちに空襲の悲惨さを伝えるための貴重な体験になりました」と語った。

 案内役を務めた森田さんは高校で日本史を教えていた元教諭。退職後、大阪府内に残る戦跡や慰霊塔を紹介する活動を続けてきた。「やがて戦争体験者が一人もいない時代がきます。当時を伝える戦跡や写真の存在がますます大事です」。森田さんは参加者たちを見つめ、力を込めた。(広島敦史)

■母の体験…

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