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「私のせいでケンカをしないで。悲しすぎる」

(車いすを利用しながら父と2人暮らしを続ける母の言葉)

 母は60歳の時、乳がんの治療をした。脊椎(せきつい)の中に腫瘍(しゅよう)が出来ていて、たぶん良性だろうが放射線治療をしましょうとのことだった。乳がんを告知される時、看護師である私が泣いていると、隣で母は「なんで泣いているの」と笑顔だった。「仕方ないことだから」と。手術も、その後の放射線治療の際も、笑顔で前向きに頑張っていた。

 それから2年後、母は突然足に力が入らなくなった。脊椎の神経が放射線障害で壊死(えし)しているとのことだった。入院して治療を受けたものの、下半身まひとなってしまった。

 突然のことであり、ショックを受けた父は体調を崩し、心療内科に通うことになった。それでも母は泣くことはまったくなかった。病室のお年寄りと仲良くなり笑顔だった。「仲良しが、出来て楽しいよ」と言っていた。「こうなったのは悔しいけど悲しくはないんよね。涙はでないんよ」といつも笑顔だった。

 自宅に戻り、母は車椅子の生活になった。

 住宅も改築したが、父は現実を受け入れず、いつもイライラしていた。私が父につい、「そんなにイライラしてたら楽しくないやん」と怒ってしまったことがある。父は「こんなんで、楽しくなるわけないじゃないか」と私に大声をあげた。

 そのとき母は初めて大声で泣いた。「私のせいでケンカをしないで。悲しすぎる」

 しばらくすると父も精神的に落ち着き、心療内科通いもやめ、以前の父に戻った。母は相変わらず、私は病気になって悲しいと泣いたことがないよと言う。「助けてもらわないといけなくなったことは嫌だけどね」と。73歳になる今でも、着替えなどは自分で全てやっている。大変そうなので手伝ってあげると「ラッキー」と笑顔で言う。

 感覚のない母の足はとんでもなく重く、ベッドにあげるだけでも大変だ。髪を洗うのも自分で洗うとしっかり座れないからうまく洗えないらしく、笑顔で「人に手伝ってもらったら楽なんよね」と、言っている。

 私は結婚して両親と一緒に暮らしていないが、自宅が近くなので度々会いに行く。いつも楽しく孫の相手をしてくれる。下半身の感覚がないので、腰に褥瘡(じょくそう)ができていたり、カイロなどで低温やけどのような状態になってしまったりすることがあり、対応してあげないといけない。

 その度に母は「ありがとう。看護師の娘を持ってよかった」とうれしいことを言ってくれる。父に対しても母は「夫婦なんでいろいろあるけど、ご飯の準備もしてくれてお父さんには本当感謝よね」と言う。それもありがたいことだ。

 母の病気後から、私の子どもも一緒に両親と旅行に行っている。毎回大きなお風呂に入りお風呂から車椅子に移る際になかなかうまくいかないが、いつも必ずどなたかが助けてくれる。本当にありがたいと思う。病気になったから、したいことも出来ないのでは悲しすぎる。

 まわりに感謝しながら、笑顔で前向きに過ごしている母を見ていると、助けてもらう時には笑顔で「お願いします」ということも大切なのだと気づかされる。誰だって、いつどうなるかはわからないのだから。

 母は十分頑張っている。でも上手に可愛くお願いしている母を見ていると、こちらが自然に笑顔になる。これからどうなるかはわからないが、母のように私も明るくやっていきたい。

◆北九州市 看護師女性(43)

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 朝日新聞文化くらし報道部「介護 あのとき、あの言葉」係

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