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 御三ばかりじゃない現に上品な仕付(しつけ)を受けつつあると細君から吹聴(ふいちょう)せられている小児(こども)ですらこの傾向がある。四、五日前のことであったが、二人の小供が馬鹿に早くから眼を覚(さ)まして、まだ主人夫婦の寐ている間(あいだ)に対(むか)い合うて食卓に着いた。彼らは毎朝主人の食う麵麭(パン)の幾分に、砂糖をつけて食うのが例であるが、この日は丁度砂糖壺が卓の上に置かれて匙(さじ)さえ添えてあった。いつものように砂糖を分配してくれるものがないので、大きい方がやがて壺の中から一匙の砂糖をすくい出して自分の皿の上へあけた。すると小さいのが姉のした通り同分量の砂糖を同方法で自分の皿の上にあけた。少(しば)らく両人は睨(にら)み合っていたが、大きいのがまた匙をとって一杯をわが皿の上に加えた。小さいのもすぐ匙をとってわが分量を姉と同一にした。すると姉がまた一杯すくった。妹も負けずに一杯を附加した。姉がまた壺へ手を懸ける、妹がまた匙をとる。見ている間(ま)に一杯一杯一杯と重なって、遂(つい)には両人の皿には山盛の砂糖が堆(うずたか)くなって、壺の中には一匙の砂糖も余っておらんようになったとき、主人が寐ぼけ眼(まなこ)を擦(こす)りながら寝室を出て来て切角(せっかく)しゃくい出した砂糖を元の如く壺の中へ入れてしまった。こんなところを見ると、人間は利己主義から割り出した公平という念は猫より優(まさ)っているかも知れぬが、智慧(ちえ)はかえって猫より劣っているようだ。そんなに山盛にしないうちに早く嘗(な)めてしまえばいいにと思ったが、例の如く、吾輩の言う事などは通じないのだから、気の毒ながら御櫃(おはち)の上から黙って見物していた。

 寒月君と出掛けた主人はどこをどう歩行(ある)いたものか、その晩遅く帰って来て、翌日食卓に就(つ)いたのは九時頃であった。例の御櫃の上から拝見していると、主人はだまって雑煮(ぞうに)を食っている。代えては食い、代えては食う。餅の切れは小さいが、何でも六切(むきれ)か七切食って、最後の一切れを椀(わん)の中へ残して、もうよそうと箸を置いた。他人がそんな我儘(わがまま)をすると、なかなか承知しないのであるが、主人の威光を振り廻わして得意なる彼は、濁った汁の中に焦げ爛(ただ)れた餅の死骸(しがい)を見て平気で済ましている。妻君が袋戸の奥からタカジヤスターゼを出して卓の上に置くと、主人は「それは利(き)かないから飲まん」という。「でもあなた澱粉質(でんぷんしつ)のものには大変功能があるそうですから、召し上ったらいいでしょう」と飲ませたがる。「澱粉だろうが何だろうが駄目だよ」と頑固(がんこ)に出る。「あなたはほんとに厭(あ)きっぽい」と細君が独言(ひとりごと)のようにいう。「厭きっぽいのじゃない薬が利かんのだ」「それだって先達中(せんだってじゅう)は大変によく利くよく利くと仰(おっしゃ)って毎日々々上ったじゃありませんか」「此間(こないだ)うちは利いたのだよ、この頃は利かないのだよ」と対句(ついく)のような返事をする。「そんなに飲んだり止(や)めたりしちゃ、いくら功能のある薬でも利く気遣(きづか)いはありません、もう少し辛防が能(よ)くなくっちゃあ胃弱なんぞは外の病気たあ違って直らないわねえ」と御盆を持って控えた御三を顧みる。「それは本当のところで御座います。もう少し召し上って御覧にならないと、とても善(よ)い薬か悪い薬かわかりますまい」と御三は一も二もなく細君の肩を持つ。「何でもいい、飲まんのだから飲まんのだ、女なんかに何がわかるものか、黙っていろ」「どうせ女ですわ」と細君がタカジヤスターゼを主人の前へ突き付けて是非詰腹(つめばら)を切らせようとする。主人は何にもいわず立って書斎へ這入(はい)る。細君と御三は顔を見合せてにやにやと笑う。こんなときに後からくっ付いて行って膝の上へ乗ると、大変な目に逢わされるから、そっと庭から廻って書斎の椽側(えんがわ)へ上って障子の隙(すき)から覗(のぞ)いて見ると、主人はエピクテタスとかいう人の本を披(ひら)いて見ておった。もしそれが平常(いつも)の通りわかるならちょっとえらい所がある。五、六分するとその本を叩き付けるように机の上へ抛(ほう)り出す。大方そんな事だろうと思いながらなお注意していると、今度は日記帳を出して下(しも)のような事を書きつけた。

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