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告知受け3世代同居へ

 東京都江東区の区立亀戸保育園の園長、国井(くにい)京子(きょうこ)さん(56)は2006年12月、がんの定期検診で腹部のエコー検査を受け、その場で異常を指摘された。

 「下腹部に影があります。すぐに大きな病院へ行って下さい」

 翌日、がん研有明病院で「進行した卵巣がんの疑い」と言われた。約2週間後、CTや腫瘍(しゅよう)マーカーの結果をもとに、主治医の宇津木(うつぎ)久仁子(くにこ)さん(57)から「首のリンパ節に転移があり、ステージ4の卵巣がん」と説明された。さらに、「治すことは難しく、1年後のことは、はっきりわかりません。万が一のことがあっても、子どもが困らないように準備を進めてください」と告げられた。

 当時、国井さんには3歳年上の夫と、大学生と小学生の娘2人がいた。保育士として働いていた保育園では3歳児を担当していたが、180日間の病気休暇を取得した。治療の合間に、宇津木さんの助言に従って動き始めた。

 まず江東区内の自宅マンションを売って、東京都中野区にある夫の実家を2世帯住宅に改築し、夫の両親と家族4人で同居することにした。自分が死んでも、夫は両親に助けてもらいながら子どもを育てていけると考えた。

 小学6年生だった次女(21)には、私立の中高一貫校を受験させることにした。自分が勉強の面倒をみられないと、3年後の高校受験を乗り切れるか不安だったからだ。準備期間は1カ月ほどだったが、無事に合格できた。

 卵巣がんの摘出手術は、07年の1月末に受けた。翌2月上旬から始まった抗がん剤治療は、約半年続いた。8月に2度目の手術を受け、脾臓(ひぞう)や大腸などに転移したがんを切除した。取り切れなかった膀胱(ぼうこう)などのがんは、12月までの抗がん剤治療で大幅に縮小した。

 この間に夫の実家の改築工事が終わり、家族4人で引っ越した。治療や新たな暮らしが落ち着いてきた段階で考えたのは、仕事のことだった。保育士になって20年近く。ハイハイしていた乳児がつかまり立ちするなど、「成長の瞬間」に立ち会える喜びは、何ものにも代えがたかった。

 「復職」が頭に浮かんだ。

 

復職するなら今しかない

 東京都江東区で保育士をしていた国井京子さん(56)は2006年12月、進行した卵巣がんが見つかった。2度の手術と抗がん剤治療を経た約1年後、がん研有明病院婦人科副部長で主治医の宇津木久仁子さん(57)から「すばらしく抗がん剤が効き、がんがほとんど消えた」と告げられた。やっと復職の機会が訪れた。

 入院の当初から180日間(現行は90日間)取得した「病気休暇」は07年7月で終わり、「病気休職」という別の制度に切り替わっていた。区職員の病気休暇では基本給が100%支給され、病気休職は最初の1年間が8割支給される。公務員として治療中も金銭的な支援を受けることができた。職場には迷惑をかけたとの思いがあり、できるだけ早く仕事に戻りたかった。

 宇津木さんには「ボランティア…

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