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 台湾・鴻海(ホンハイ)精密工業の傘下に入ることが2日、正式に決まったシャープ。技術力を生かした独創的な製品を次々と世に問い、人々を魅了してきた。ファンは外資による買収に至った経営不振を嘆きつつ、「シャープらしさ」の復活を願っている。

 シャープと鴻海が記者会見を開いているころ、大阪府東大阪市の会社員藤井健治さん(50)は大阪・ミナミの家電量販店で、シャープ製80インチの液晶テレビ「アクオス」を眺めていた。自宅の冷蔵庫はシャープ製。決め手はシャープの独自技術「プラズマクラスター」だった。「鴻海の資金力とシャープの技術力を合わせてV字回復してほしい」

 東京五輪があった1964年、シャープが旧社名の早川電機工業時代に発売した、計算装置すべてにトランジスタを使った電卓は、当時の最先端。以降、日本の電機メーカーは小型化と高性能化を競う「電卓戦争」を繰り広げた。

 約1千台のコレクションを誇る電卓研究家の大崎眞一郎さん(60)=川崎市=は、大学に入った73年、高価な関数電卓を親に買ってもらった。「もうそろばんも計算尺もいらない。電卓を手にして、『勉強しよう』と心に誓いました」

 シャープは卓上据え置き型からポケット型、手帳型、カード型と小型化させていった。大崎さんは「トランジスタ、液晶や太陽電池などの新技術を投入した。その技術があらゆる電気製品に生かされ、『電子技術といえば日本』という立場を作り上げた」と評価する。「シャープの技術はまだ衰えていないはず。経営戦略での失敗が残念だ」

 全画面液晶の小型端末でインターネットができ、カメラまで付いている。シャープが90年代に送り出した携帯情報端末「ザウルス」は、スマートフォンを先取りする斬新さで人々を引きつけた。「ほぼ全機種を持っている」という相模原市の会社経営、藤田実さん(51)は「『誰でもどこでもネットに接続する未来』を確信した」と振り返る。

 93年に初代が登場。ネット接続機能やカメラ、カラー液晶が次々に搭載された。「手帳サイズでパソコン通信ができる。出張先の移動中でも電子メールを読める」。営業マンだった藤田さんは感動し、新機種が出るたびに買った。

 ザウルスで培われた液晶の技術は大型テレビに活用され、携帯電話に応用された小型カメラは「写メール」の文化を生み出した。「今でいうアップルの地位には、シャープが座ると信じていた」と藤田さんは悔しがる。「経営再建し、また独自の視点で新しいものを生み出してほしい」

 兵庫県西宮市の不動産賃貸業樋口英夫さん(79)方の居間に据えられた52インチの「アクオス クアトロン 3D」。台所や寝室なども含め計6台あるテレビは、すべてシャープ製だ。

 国産第1号テレビを量産し、液晶でも「亀山ブランド」で名をはせたシャープ。20年ほど前、家電量販店で各メーカーを見比べ「画面がきれいで一番気に入った」とシャープ製に決め、以来テレビはシャープ一筋。関西で成長したことも、応援する理由だった。

 買収は残念だが「欲しいと思わせるいいテレビをつくり続けてほしい」とエールを送る。「そしたらこれからもずっと、テレビはシャープや」(足立耕作、石原孝、矢吹孝文)

「付加価値の高い商品に注力を」

 シャープに関する著書もあるオーディオ評論家の麻倉怜士さんの話 「目の付けどころがシャープでしょ。」のスローガン通り、1990年代ごろまでは失敗してもいいからアイデアを、という雰囲気が全社的にあった。モニター付きビデオカメラやカメラ付き携帯電話など、半歩先をいった商品も多い。業績悪化の要因は、他社と差別化しにくい液晶パネルへの過大投資。今後は原点に返り、付加価値の高い商品に注力すべきだ。社名の由来であるシャープペンシルのように創意工夫のDNAはまだ息づいているはずだから。