拡大する写真・図版 ゆっくりと本船が定置網の中の魚を追い込んでいく=4月19日午前2時50分過ぎ、熱海市網代沖

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 静岡県熱海市網代から出荷される「朝獲(ど)れ」の魚が東京・築地の「場外市場」で人気だ。築地で扱われる魚は輸送上の都合で前日か前々日に水揚げされた鮮魚がほとんど。ところが網代の「朝獲れ」は未明の網代沖で泳いでいたものばかり。築地で「唯一」とも言われる取れたての鮮魚が、低迷気味だった漁港に元気と自信を与えている。

 4月19日午前2時、網代漁港。定置網漁を営む会社「網代漁業」所属の3隻の漁船が相次いで出港した。

 以前なら午前4時ごろからの出港だった。だが、その日のうちに築地で売るためには、この時間から船を出さねば間に合わない。

 午前2時15分に漁場に着いた後、約30分かけて本船が約100メートル離れた僚船に向けて定置網をゆっくり上げる「網締(あみじめ)め」を始めた。

 明かりに照らされた網の上をカモメの群れが旋回する。3隻の船が飛び移れるほどに接近すると、網の中にはヘダイやイシダイ、ヒラメ、カマスといった大量の魚がはねていた。

 漁師たちがたも網を使って魚をすくい、運搬役の船に入れる。午前3時半に運搬役の船が港に着くと水揚げ開始。20代から80代の約10人の従業員が魚を選別して目方を量り、かごに入れていく。時計を気にする目つきは真剣だ。

 午前4時。トラック運転手の台野(だいの)秀浩さん(56)がトラックのエンジンをかけた。築地まで115キロの道のり。都心の渋滞を避け築地に早朝に着かないと「朝獲れ」の名折れとなる。

 「伊豆・網代定置網 今朝4時に水揚げ、築地に直送しました!」

 午前7時前、東京・築地場外市場の一角。網代定置網築地場外店の伊東栄一店長(45)が魚が入った店先のかごに札を立てた。「午前4時の水揚げ?」。客から驚きの声がかかる。

 荷を下ろした台野さんが言う。「これが網代の新たな心意気なんです」

首都圏と近さ生かし差別化

 網代漁業が「朝獲(ど)れ」を始めたのは一昨年秋からだ。

 今年11月に予定される築地市場の豊洲移転に伴い、NPO法人・築地食のまちづくり協議会が東京都中央区から委託され、区関係の建物への入居を築地に出入りする業者を対象に募った。網代漁業の泉沢宏社長(54)が「首都圏に近く、多種多様な魚が取れる定置網で勝負しよう」と応募し、採用された。

 網代からならば2~3時間のトラック輸送で築地へ持ち込める。「首都圏に近いという地の利を生かした差別化が可能だ」と考えた泉沢社長は漁師たちを説得。漁の開始時間を約2時間早め、「朝獲れ」の魚の持ち込みを始めた。

 泉沢さんが網代漁業の経営を引き継いだのは2007年。同社はそれ以前、多額の負債を抱えていたという。東北で漁業経営の実績があった泉沢さんは、若い漁師の育成や漁場の復活、サクラマスの養殖といった策を打ち、一昨年からは年商が3億円を突破。長年の課題だった「網代ブランドの浸透と拡大」を狙ったのが「朝獲れ」だった。

 網代の朝獲れ魚を並べる店について「場外市場の目玉になった」と築地食のまちづくり協議会事務局長の鹿川賢吾(しかがわ・けんご)さん(41)は話す。とりわけ網代の朝獲れに注目をしたのが魚料理店「魚河岸三代目 千秋」の取締役でシニアアドバイザーの小川貢一さん(59)だ。「今までにない鮮度と地産地消をそのまま都内の消費者に持ち込めた」と評価する。

 卸売市場である築地市場とは別の「場外市場」に店を構えたことで、仲買を通さずに都内の料理店や小売りの客相手に直接売り込める。場外への持ち込みは水揚げのわずかな割合だが、常連の取引先ができた。

 泉沢さんは言う。「新しい挑戦でみんなで楽しく仕事ができるようになったことが一番の効果。しかし、漁業と熱海の基幹産業の観光との連携はまだ弱い。開拓はこれからです」(羽毛田弘志)