[PR]

 旧ソ連・チェルノブイリ原発事故から4月26日で30年を迎える。事故の5年後、被災地は年1ミリシーベルトを超える被曝(ひばく)線量が推定される地域の住人の移住などを国が支援する通称「チェルノブイリ法」を定めた。一方、東京電力福島第一原発事故から5年が経った日本では、年20ミリシーベルトを下回ったら避難指示を解除し、住民を帰そうとしている。同法に日本が学ぶべき点も多いとする研究者・尾松亮氏に、同法の理念や仕組みを聞いた。

【経緯】

 ――チェルノブイリ法ができたのは事故から5年後の1991年でした。

 「当時のソビエト連邦を構成した共和国のウクライナとベラルーシがまず制定し、少し遅れてロシアもつくりました。基本的な内容は同じで、事故の被災者を国の責任で保護するものです。1986年の事故直後、半径30キロ圏内で強制避難が行われましたが、放射性物質は30キロを越えて飛散しました。その汚染状況を示した地図が89年に公開され、汚染を知った人々が、私たちも補償せよ、と声を上げたのがきっかけです」

 「事故の収束作業者らも、多量の被曝をしたにもかかわらず、補償はおざなりでした。それで収束作業者やその遺族、そして被災地の住人らが、『チェルノブイリ同盟』という団体をつくり、権利擁護を求める運動を始めました。おりしも、ソ連で初めて民主化された選挙が行われ、被災地住民や作業員らを代表する議員が当選し、法律をつくる大きな流れができました」

【範囲・対象】

 ――制定された法律だと、支援対象はどうなっているのですか。

 「年1ミリシーベルトを超える追加被曝を余儀なくされる地域を、被災地として認めました。実際には土壌汚染の濃度で定められています。この年1ミリシーベルトはチェルノブイリ法ができる前年の90年11月、ICRP(国際放射線防護委員会)が平常時の公衆の被曝限度について、『年1ミリシーベルト』と勧告したのを無視できなかったからです」

 ――年20ミリシーベルトを下回れば住民を帰そうという日本と水準がかなり違います。

 「ICRPが2007年になっ…

有料会員限定記事こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

有料会員限定記事こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

有料会員限定記事こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

有料会員限定記事こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

980円で月300本まで有料記事を読めるお得なシンプルコースのお申し込みはこちら