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 15年前の冬に出会ったホームレス「トリさん」にもう一度、会いたかった。彼の話した言葉の真意を確かめたいと思った。名古屋の街を、トリさんの足跡を探して歩いた。

 2000年12月末、名古屋市中心部の白川公園には「テント村」があった。100人前後のホームレスが寝起きしていた。

 「ほれっ! 兄ちゃん、カニ缶、放出したるわ」。私の前に小柄な男性が満面の笑みで立っていた。「トリさん」と呼ばれていた。私は記者になる前で、大学の授業の一環で同級生3人と訪れた。

 00年には、大手百貨店そごうが倒産していた。愛知の有効求人倍率は0・80倍。今年2月は1・59倍だった。

 ホームレス十数人と支援者の車座に加わった。片手にビール缶、吐く息が白い。私の隣にトリさんが座った。50代か。問わず語りに話し出した。

 長崎で生まれ、18歳で親と名古屋に来た。親が戻った後も1人で残り、大工をしたり、サービス業をしたり、朝4時に起きて業者から仕事をもらう。いつもは簡易宿泊所が根城だが、金がなくなると公園で雨露をしのぐ。そこから職場にも通う。

誇りか強がりか

 ホームレスになった経緯は聞けなかったが、「ホームレス=怠け者」という見方は偏見だと、気づかされた。「兄ちゃん、日雇いは不安定だと思ってるだろ。働きたいときに働けるから自由なんだ」

 日雇いは自由だ、という言葉が引っかかった。誇りか、強がりか。真意を聞き直したいと思っていたら15年が経った。

 白川公園のホームレスは03年に116人を数え、市は近くに緊急一時宿泊施設を設けて入所を促した。05年の愛知万博前には8軒の小屋を強制撤去。昨年の調査ではわずか3人だった。

 トリさんを探そうと思い立ったものの、本名も連絡先も知らない。まずは白川公園へ。

 ビーチチェアで読書中の男性がいた。「忙しい」と取り付くシマもなかったが、「トリさんを探している」と告げると、顔を向けた。男性は付き合いはなかったと断った上で、「10年前に福祉(事務所)に行ったと、うわさで聞いた」と話した。

 次に、15年前もお世話になった笹島診療所を頼った。

 笹島診療所は1985年、ホー…

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