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 「なあに今日のはこっちの趣向じゃない寒月先生自身の要求さ。先生何でも理学協会で演説をするとかいうのでね。その稽古(けいこ)をやるから僕に聴(き)いてくれというから、そりゃ丁度いい苦沙弥にも聞かしてやろうというのでね。そこで君の家(うち)へ呼ぶ事にして置いたのさ――なあに君はひま人だから丁度いいやね――差支(さしつかえ)なんぞある男じゃない、聞くがいいさ」と迷亭は独りで呑み込んでいる。「物理学の演説なんか僕にゃ分らん」と主人は少々迷亭の専断を憤ったものの如くにいう。「ところがその問題がマグネ付けられたノッズルについてなどという乾燥無味なものじゃないんだ。首縊りの力学という脱俗超凡な演題なのだから傾聴する価値があるさ」「君は首を縊(くく)り損(そ)くなった男だから傾聴するが好いが僕なんざあ……」「歌舞伎座で悪寒(おかん)がする位の人間だから聞かれないという結論は出そうもないぜ」と例の如く軽口を叩く。妻君はホホと笑って主人を顧みながら次の間へ退く。主人は無言のまま吾輩の頭を撫でる。この時のみは非常に丁寧な撫で方であった。

 それから約七分位すると注文通り寒月君が来る。今日は晩に演舌をするというので例になく立派なフロックを着て、洗濯し立ての白襟(カラー)を聳(そび)やかして、男ぶりを二割方上げて、「少し後(おく)れまして」と落付き払って、挨拶をする。「先っきから二人で大待ちに待ったところなんだ。早速願おう、なあ君」と主人を見る。主人もやむをえず「うむ」と生返事をする。寒月君はいそがない。「コップへ水を一杯頂戴(ちょうだい)しましょう」という。「いよー本式にやるのか次には拍手の請求と御出(おいで)なさるだろう」と迷亭は独りで騒ぎ立てる。寒月君は内隠(うちがく)しから草稿を取り出して徐(おもむ)ろに「稽古ですから、御遠慮なく御批評を願います」と前置をしていよいよ演舌の御浚(おさら)いを始める。

 「罪人を絞罪の刑に処するとい…

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