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 「御尤もで」と迷亭は漸(ようや)く安心する。「それについて、あなたに伺おうと思って上がったんですがね」と鼻子は主人の方を見て急に存在(ぞんざい)な言葉に返る。「あなたの所へ水島寒月という男が度々上がるそうですが、あの人は全体どんな風な人でしょう」「寒月の事を聞いて、何にするんです」と主人は苦々(にがにが)しくいう。「やはり御令嬢の御婚儀上の関係で、寒月君の性行の一斑(いっぱん)を御承知になりたいという訳でしょう」と迷亭が気転を利かす。「それが伺えれば大変都合が宜しいので御座いますが……」「それじゃ、御令嬢を寒月に御遣りになりたいと仰(お)っしゃるんで」「遣りたいなんてえんじゃないんです」と鼻子は急に主人を参らせる。「外にも段々口があるんですから、無理に貰(もら)って頂かないだって困りゃしません」「それじゃ寒月の事なんか聞かんでも好いでしょう」と主人も躍起となる。「しかし御隠しなさる訳もないでしょう」と鼻子も少々喧嘩(けんか)腰(ごし)になる。迷亭は双方の間に坐って、銀(ぎん)烟管(ギセル)を軍配(ぐんばい)団扇(うちわ)のように持って、心の裡(うち)で八卦(はっけ)よいやよいやと怒鳴っている。「じゃあ寒月の方で是非貰いたいとでもいったのですか」と主人が正面から鉄砲を喰(くら)わせる。「貰いたいといったんじゃないんですけれども……」「貰いたいだろうと思っていらっしゃるんですか」と主人はこの婦人鉄砲に限ると覚(さと)ったらしい。「話しはそんなに運んでるんじゃありませんが――寒月さんだって満更(まんざら)嬉しくない事もないでしょう」と土俵際(ぎわ)で持ち直す。「寒月が何かその御令嬢に恋着したというような事でもありますか」あるならいって見ろという権幕で主人は反(そ)り返る。「まあ、そんな見当でしょうね」今度は主人の鉄砲が少しも功を奏しない。今まで面白気に行司(ぎょうじ)気取りで見物していた迷亭も鼻子の一言(いちごん)に好奇心を挑撥(ちょうはつ)されたものと見えて、烟管を置いて前へ乗り出す。「寒月が御嬢さんに付(つ)け文(ぶみ)でもしたんですか、こりゃ愉快だ、新年になって逸話がまた一つ殖(ふ)えて話しの好材料になる」と一人で喜んでいる。「付け文じゃないんです、もっと烈(はげ)しいんでさあ、御二人とも御承知じゃありませんか」と鼻子は乙(おつ)にからまって来る。「君知ってるか」と主人は狐付きのような顔をして迷亭に聞く。迷亭も馬鹿気た調子で「僕は知らん、知っていりゃ君だ」と詰らん所で謙遜する。「いえ御(お)両人(ふたり)とも御存じの事ですよ」と鼻子だけ大得意である。「へえー」と御両人は一度に感じ入る。「御忘れになったら私しから御話をしましょう。去年の暮向島(むこうじま)の阿部(あべ)さんの御屋敷で演奏会があって寒月さんも出掛けたじゃありませんか、その晩帰りに吾妻(あずま)橋(ばし)で何かあったでしょう――詳しい事は言いますまい、当人の御迷惑になるかも知れませんから――あれだけの証拠がありゃ充分だと思いますが、どんなものでしょう」と金剛石(ダイヤ)入りの指環(ゆびわ)の嵌(はま)った指を、膝の上へ併(なら)べて、つんと居(い)ずまいを直す。偉大なる鼻が益(ますます)異彩を放って、迷亭も主人もあれどもなきが如き有様である。

 主人は無論、さすがの迷亭もこの不意撃(ふいうち)には胆(きも)を抜かれたものと見えて、しばらくは呆然(ぼうぜん)として瘧(おこり)の落ちた病人のように坐っていたが、驚愕(きょうがく)の箍(たが)がゆるんで漸々(だんだん)持前(もちまえ)の本態に復すると共に、滑稽という感じが一度に咄喊(とっかん)してくる。

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