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 両人(ふたり)は申し合せた如く「ハハハハハ」と笑い崩れる。鼻子ばかりは少し当てが外れて、この際笑うのは甚だ失礼だと両人を睨みつける。「あれが御嬢さんですか、なるほどこりゃいい、仰っしゃる通りだ、ねえ苦沙弥君、全く寒月は御嬢さんを恋(おも)ってるに相違ないね……もう隠したって仕様がないから白状しようじゃないか」「ウフン」と主人はいったままである。「本当に御隠しなさってもいけませんよ、ちゃんと種は上ってるんですからね」と鼻子はまた得意になる。「こうなりゃ仕方がない。何でも寒月君に関する事実は御参考のために陳述するさ、おい苦沙弥君、君が主人だのに、そう、にやにや笑っていては埒があかんじゃないか、実に秘密というものは恐ろしいものだねえ。いくら隠しても、どこからか露見するからな。――しかし不思議といえば不思議ですねえ、金田の奥さん、どうしてこの秘密を御探知になったんです、実に驚ろきますな」と迷亭は一人で喋舌(しゃべ)る。「私(わた)しの方だって、ぬかりはありませんやね」と鼻子はしたり顔をする。「あんまり、ぬかりがなさ過ぎるようですぜ。一体誰に御聞きになったんです」「じきこの裏にいる車屋の神さんからです」「あの黒猫のいる車屋ですか」と主人は眼を丸くする。「ええ、寒月さんの事じゃ、よっぽど使いましたよ。寒月さんが、ここへ来る度に、どんな話しをするかと思って車屋の神さんを頼んで一々知らせてもらうんです」「そりゃ苛(ひど)い」と主人は大きな声を出す。「なあに、あなたが何をなさろうと仰っしゃろうと、それに構ってるんじゃないんです。寒月さんの事だけですよ」「寒月の事だって、誰の事だって――全体あの車屋の神さんは気に食わん奴だ」と主人は一人怒(おこ)り出す。「しかしあなたの垣根(かきね)のそとへ来て立っているのは向うの勝手じゃありませんか、話しが聞えてわるけりゃもっと小さい声でなさるか、もっと大きなうちへ御這入(おはい)んなさるがいいでしょう」と鼻子は少しも赤面した様子がない。「車屋ばかりじゃありません。新道(しんみち)の二絃琴(にげんきん)の師匠からも大分色々な事を聞いています」「寒月の事をですか」「寒月さんばかりの事じゃありません」と少し凄(すご)い事をいう。主人は恐れ入るかと思うと「あの師匠はいやに上品ぶって自分だけ人間らしい顔をしている、馬鹿野郎です」「憚(はばか)り様(さま)、女ですよ。野郎は御門(おかど)違いです」と鼻子の言葉使いは益(ますます)御里をあらわして来る。これではまるで喧嘩をしに来たようなものであるが、そこへ行くと迷亭はやはり迷亭でこの談判を面白そうに聞いている。鉄枴仙人(てっかいせんにん)が軍鶏(しゃも)の蹴合(けあ)いを見るような顔をして平気で聞いている。

 悪口(あっこう)の交換では到底鼻子の敵でないと自覚した主人は、暫らく沈黙を守るのやむをえざるに至らしめられていたが、漸く思い付いたか「あなたは寒月の方から御嬢さんに恋着したようにばかり仰っしゃるが、私の聞いたんじゃ、少し違いますぜ、ねえ迷亭君」と迷亭の救いを求める。「うん、あの時の話しじゃ御嬢さんの方が、始め病気になって――何だか譫語(うわこと)をいったように聞いたね」「なにそんな事はありません」と金田夫人は判然たる直線流の言葉使いをする。「それでも寒月は慥かに〇〇博士の夫人から聞いたといっていましたぜ」「それがこっちの手なんでさあ、〇〇博士の奥さんを頼んで寒月さんの気を引いて見たんでさあね」「〇〇の奥さんは、それを承知で引き受けたんですか」「ええ。引き受けてもらうたって、ただじゃ出来ませんやね、それやこれやで色々物を使っているんですから」「是非寒月君の事を根掘り葉掘り御聞きにならなくっちゃ御帰りにならないという決心ですかね」と迷亭も少し気持を悪くしたと見えて、いつになく手障(てざわ)りのあらい言葉を使う。「いいや君、話したって損の行く事じゃなし、話そうじゃないか苦沙弥君――奥さん、私でも苦沙弥でも寒月君に関する事実で差支(さしつかえ)のない事は、みんな話しますからね、――そう、順を立(たて)て段々聞いて下さると都合がいいですね」

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