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第7章:11

 「控訴しましたよ」

 2011年6月29日。川崎市のアパートの大家ら3人が殺害された事件の裁判で裁判員を務めた米澤敏靖さん(27)は、記者から連絡を受けた。

 自分たちが死刑判決を下した被告の弁護団が判決を不服として東京高裁に控訴したという。

 「残念だな」

 その6日後、また記者から連絡があった。被告(当時59)自身が控訴を取り下げたという。死刑が確定した。「あー、よかった。受け入れてくれたんだ」。悩み抜いた末の判断だったので、素直にそう思った。

 米澤さんは当時大学4年生。それから半年ほどして、大学のキャンパスで親しい友人に裁判員を務めたことを話したところ、こう言われた。

 「お前、人を殺したのか?」

 胸を突かれた。友人に悪気がないことはわかったので、その場は冗談っぽく返した。だが、その後も、別の2人の友人から同じようなことを言われた。

 考えてもいないことだった。死刑はだれかが実行する「最も重い刑」という認識で、間接的にでも自分がかかわって「人を殺す」という意識はまるでなかった。「間接的であろうとも、死刑は殺人行為と変わらないのかもしれない」

 改めて重大なことを判断したのだと思った。

 「あれで本当によかったのだろうか」

 振り払っても振り払っても、疑問がわき上がった。つらかった。心にふたをし、忘れようとした。

 だが、死刑が執行されたというニュースが流れると、そのたびにびくびくし、自分たちが死刑判決を言い渡した「津田寿美年(すみとし)」の名前がないか探した。見当たらないと、人知れず安堵(あんど)した。

 そんな中での昨年12月18日。午前中に携帯電話が鳴った。大学卒業後に就職した会社で働いていた。何も知らずに電話に出たら、テレビ局の記者からだった。

 津田元死刑囚の刑が執行されたという。津田元死刑囚は63歳になっていた。「仕事中なので遠慮させてほしい」と伝えたが、一言ほしいと粘られた。「ただただ驚いている」などと話した。その音声が、昼のニュースに流れたらしい。

 その後、電話が鳴り続けた。もう出なかった。自宅にも記者が押しかけてきたらしい。深夜に帰宅すると、対応した母親が会社名と記者の名前を控えていた。5~6社あっただろうか。みな知らない名前だった。その後も、取材依頼は続いたが、一切応じなかった。

 執行を、現実として受け入れることができなかった。信じたくなかった。「自分が信じなければ津田さんがどこかで生きていると思えるかも」と思った。

 何も話したくなかった。会社の…

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