朝日新聞社元社長の一柳東一郎(ひとつやなぎ・とういちろう)さんが、7日午前3時10分、心不全のため東京都三鷹市内の病院で死去した。91歳だった。通夜は9日午後6時、葬儀は10日午前11時から同杉並区南荻窪4の34の10の長明寺会館で。喪主は妻咲子(さきこ)さん。

 48年に朝日新聞入社。政治記者が長く、政治部長や西部、東京両本社の編集局長を経て、77年に取締役に就任した。78年12月から常務取締役大阪本社代表、82年代表取締役専務、83年10月に代表取締役副社長を歴任し、84年12月に社長に就いた。販売部数の伸びの鈍化、広告不況など厳しい経営環境を背景に長期経営ビジョンを策定し、新聞を中核としつつ、総合情報産業化を目指す基本方針を掲げた。その中で、「新時代の新媒体」として、週刊紙「AERA」を88年5月に創刊し、発行室を社長直属とした。

 88年2月、中国共産党の趙紫陽・総書記と会見した。前年秋の党大会で正式に総書記に就任して以来、外国報道機関と単独会見に応じたのは初めてだった。

 一方、社長在任中の87年5月3日、目出し帽の男が阪神支局に侵入し、散弾銃を発射する事件があり、記者1人が死亡、1人が重傷を負った。死亡した記者の社葬では、葬儀委員長として「君は朝日新聞の歴史とともに生き続ける」と弔辞を読んだ。

 89年4月、写真部員が自らサンゴを傷つけ、記事を捏造(ねつぞう)した問題で、翌月に編集局長と写真部長を更迭、写真部員を退社処分に。社長辞任を表明し、6月の株主総会で辞任した。

 91年6月取締役を辞任。その後、顧問に就き、00年3月末まで務めた。