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 野球部棟の壁に掲げられた1枚のプレート。縦横約1メートル。昨夏の甲子園出場を記念し、当時の全部員64人と監督・部長の名前が印字されている。幼い頃から仲良しだった兄弟の名もそこにある。弟がずっと背中を追いかけてきた兄は、甲子園出場を前に、逝った。

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 北海道十勝平野のほぼ中央の芽室(めむろ)町。白樺学園高校グラウンドで控え二塁手の渡部(わたなべ)悠平(3年)が泥だらけになって練習していた。

 小学2年の時、1歳上の兄洸稀(こうき)が通う地元の帯広市の野球チームに入った。年の差を意識したことはなかったが、野球では先輩の顔をしていた。兄が選んだ高校はそれまで夏の甲子園に2度出た白樺学園だった。

 「バシッ、バシッ」。自宅で兄の部屋から毎夜乾いた音が聞こえた。キャッチャーミットがなじむように何度も捕球面を手でたたいていた。拳の皮がめくれ、血がにじんでいた。野球に懸ける兄。高校でも一緒に野球をやりたいと思った。

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 2014年11月9日。野球部の数人とジャガイモ農家でアルバイトをした。兄も20キロ離れた別の農家で働いていた。翌春の関東への遠征費を稼ぐためだった。

 午後6時ごろ、父から携帯電話に連絡が入った。兄は農作物の収穫作業中、トラクターが牽引(けんいん)するトレーラーに巻き込まれていた。病院に駆けつけ、集中治療室に通された。名前を叫んだ。手をぎゅっと握った。反応は、ない。その夜、兄は17歳で息を引き取った。

 1週間学校を休んだ。少しでも長く一緒にいたかった。居間に安置された棺(ひつぎ)。亡くなったのが不思議で、何度も顔を見た。兄のグラブやバットを棺に置いた。「もっと野球したかっただろうな」。涙があふれた。

 火葬の日。兄を乗せた霊柩(れいきゅう)バスが学校に寄った。正門に差しかかると、野球部のみんなが、頭を深く下げていた。仲間の死に直面し、チームメートも、何も手につかなかった。

 翌日、事故後初めて登校した。部員ら約40人を前に言った。「練習を続けて下さい」。兄もそれを望んでいるはずだ。野球部はその日から、練習を再開した。

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 昨夏主将だった周東(しゅうとう)拓弥(19)は事あるごとに「洸稀」の名を口にした。練習前には必ず洸稀のユニホームに黙禱(もくとう)した。「洸稀と甲子園に」が目標になり、昨夏、北北海道大会で優勝。悠平は甲子園の応援席で兄のユニホームとともに声援を送った。初戦で敗れたが、兄の目指した場所にいることがうれしかった。

 それから1年。「最後の夏は自分の足で甲子園の土を踏む」と兄に誓い、練習に取り組んできた。6月下旬の背番号発表。戸出(といで)直樹監督(40)から「14」を受け取った。決意表明で言葉を選びながら言った。「選ばれたことに自覚を持つ」

 チームは十勝地区大会を勝ち抜き、16日、北北海道大会初戦で惜敗した。だが全力で戦ったと兄に報告したい。甲子園の熱気が去る8月25日、兄が迎えられなかった18歳になる。=敬称略(長谷川健)

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