[PR]

「私を置いて、仕事にいくの?」

(3年前、がんのため60歳で亡くなった母の言葉)

 「私を置いて、仕事にいくの?」

 がんで日に日にやせ細り、次々と出来ないことが増えていく母が、仕事に向かう私にそう言いました。

 私は心が張り裂けそうになりました。この言葉は私の言葉だったから。

 母は、私が幼い頃に離婚し、女手ひとつで私を育てあげました。

「私を置いて、仕事にいくの?」。この言葉は、私が幼かった頃、高熱で寝込んでいた時、仕事へ向かう母の背中にかけた私の言葉でした。

 幼い私にもわかっていました。母が仕事にいくのは私のためで、仕方ないことだと。でも、ほんの少しでいいから、構って欲しかった。いえ、振り向いて視線を向けてくれるだけでも。それだけでも良かったんです。

 そんな私に母がくれたものは、平手打ち。それから暴言でした。幼い頃の私にとって母の暴力は日常の一部で、物を投げられたり、包丁を突きつけられたりすることも珍しくありませんでした。

 母が言った私の言葉は、その時の記憶を、たった今見てきたかのように、鮮明に思い起こさせ、私を荒れ狂う感情の中に放り込みました。私は母を傷つけたい衝動に駆られました。しかし私は何とか怒りや悲しみで荒れ狂う心を抑え込み、優しく母を抱き締めることが出来ました。

 私が、母にそうして欲しかったように。私が、あの時幼かった私にそうしてあげるかのように。

 私は母の介護と看病の際、母を傷つけたい衝動に駆られることがそれまでに何度かありました。

 私自身の発した言葉を、母の口から聞いた時、私は私自身の醜い衝動が、連綿と続いてきた負の連鎖の罠(わな)であることに気がつきました。

 認知症などでなく、末期がんで良かった。そう思ってしまう自分がいました。

 1年以内に、醜い自分との闘いは終わる。そこまでなら、抑え込んでみせる。勝ってみせる。私はそう決意していました。闘いはほとんど私の勝利でした。

 けれど、わずかに負けてしまい、母の心を深く傷つけてしまったことがあったと告白します。そして、その事を深く後悔し続け、弱い自分を本当に情けなく思っています。

 けれど、私は母を愛していて、母もまた、私を愛していました。愛している。なのに傷つけたい。一見相反し、同時にはあり得ないように思えるこの感情は、けれど同時にあり、そして抑えるのに大変苦労する、衝動的なものです。

 母も、母の母も、母の母の母も、ずっとその先にも、きっとこの思いと闘ってきた人たちがいるのです。虐待をされたものとして、虐待をされる人の気持ちも、虐待をする人の気持ちもわかります。

 「○○することは虐待です」。そう言うのはとても簡単です。けれど、その加害者たちは、ともすると被害者で、負の種から生えた木の中の、たった一枚の葉に過ぎないかもしれない。そう思う心、木を見、森を見る心をどこかに少し、持っていてほしい。そう願います。

 私は今、一枚の葉から、新しい幸せの種となれるよう、自分自身を変える努力をしています。

 それが母や先祖への供養になると信じて。

◆岐阜県 主婦(30代)

     ◇

 あなたにとっての介護の記憶を、ぜひお聞かせください。ご投稿いただく際は、お名前とご連絡先(住所・電話番号・メールアドレス)をご明記のうえ、メールでお送りください。文字数の制限や締め切りはありません。匿名をご希望の方は、その旨をお書き添えください。掲載にあたり、ご投稿について記者がお話をお聞きする場合があります。

 朝日新聞文化くらし報道部「介護 あのとき、あの言葉」係

 kaigotoukou@asahi.comメールする