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 4日開幕のバスケットボール男子の世界最終予選などを経て、リオデジャネイロ五輪の日本選手団の全陣容が固まる。海外での大会としては最多の339選手を送り込んだ2008年北京五輪以来、2大会ぶりに300人を超える見通しだ。日本選手の「最」を紹介する。

最年少15歳 競泳の酒井夏海

 172センチの体、すらりと伸びた手足を見ると、酒井夏海(スウィン南越谷)の年齢が分からなくなる。日本選手団でただ一人の中学生は、6月に15歳になったばかりのさいたま市立土合中の3年生。日本の競泳陣では、1996年のアトランタ大会に出た青山綾里以来となる中学生オリンピアンだ。

 背泳ぎを本格的に始めたのは中学に入ってから。指導する渡部信コーチは「足首が柔らかく、水のとらえ方がうまい」。スタートやターンで壁を蹴ったあとにみせるドルフィンキックでぐんと加速する。4月の代表選考会では大人たちに競り勝ち、100、200メートルの2種目を制した。日本水泳連盟が定めた派遣標準記録を上回ることはできなかったが、メドレーリレーのメンバーとして代表に選ばれた。

 水泳を始めた目的はダイエット。「太りやすくて、すぐに服が入らなくなる子だった。泳げば、食べても大丈夫だから」。冬場、お菓子を食べ過ぎて体重が増えた。代表選考会に備えるため、大会の1カ月前からお菓子を断った。最後のレースを終えた直後にはコンビニエンスストアへ。自宅に戻る車中でスナック菓子を思う存分ほおばった。

 ロンドン五輪の女子メドレーリレーで、日本は12年ぶり二つ目の銅メダルを手にした。当時背泳ぎのメンバーだった寺川綾が2013年に現役を退いてから、背泳ぎの日本記録は一つも更新されていない。「『いまの背泳ぎはだめだから』と周りに言われるのが悔しい。リレーでの責任は大きい」。平泳ぎの渡部香生子(かなこ)(JSS立石)、バタフライの池江璃花子(りかこ)(ルネサンス亀戸)らとともに表彰台を目指すには、15歳の躍進が欠かせない。(清水寿之)

最多出場6回 馬術の杉谷泰造

 6回目の出場は、夏季五輪の日本選手最多記録となる。馬術・障害飛越で6大会連続出場の40歳、杉谷泰造(杉谷乗馬ク)はサラブレッドだ。祖父も父も五輪の馬術日本代表だった。

 母方の祖父・川口宏一さんは1956年メルボルン大会に出場、父昌保さんも68年メキシコ大会から76年モントリオール大会まで3回連続で出場した。杉谷自身の6回を合わせると、一家にとって、リオは親子3代で10回目の五輪だ。

 「6回目はあまり意識していませんが、そろそろいい成績も出さなくてはいけないなと思っています」

 過去の最高成績は2004年アテネの個人16位。「出場回数ではなく、成績で話題になりたい」とさらなる上位を見据える。

 17歳で日本を離れた。馬術の本場、欧州に拠点を置き、世界トップクラスの実力を肌で感じてきた。欧州は馬術の裾野が広く、毎週のように大会が開かれる。実戦で鍛えられることは多い。サッカーの世界でいえば「海外組」のような立場だ。

 障害飛越は競技場の中に置かれた障害物を決められた順番に飛び越える。失敗すると減点される。出場する選手にコースが知らされるのは競技直前だ。ほぼぶっつけ本番で挑む。

 6回目のリオは杉谷にとって通過点だ。ロンドン五輪でもコンビを組んだ愛馬アヴェンツィオは17歳。20年東京五輪まで現役を続けるのはむずかしい。杉谷は10頭ほどの馬を訓練し、4年後に備える。一流の競技馬に育てるには手間と時間がかかる。

 「20年五輪が東京に決まった時、すごくモチベーションが上がりました。東京ではメダルを目標にしています」(有吉正徳)

最南端・石垣島出身 自転車の新城幸也

 南半球での五輪に、日本生まれの選手の中で最南端から挑むのは、沖縄・石垣島出身の自転車男子個人ロードレース代表、31歳の新城(あらしろ)幸也(ランプレ・メリダ)だ。

 48位だったロンドンに続く2大会連続。「リオのコースは石畳や上り坂があり、サバイバルレースが予想される。最後は少人数の勝負でメダルを取りたい」と意気込んでいる。

 日本から出場するもう一人、27歳の内間康平(ブリヂストンアンカー)も沖縄県浦添市出身だ。「沖縄から2人も出ているんだ、と知ってもらい、五輪を目指す子が沖縄から出て来てほしい」と話す新城は、2日に開幕した世界最高峰のレース、ツール・ド・フランスを経てリオに乗り込む。

 重量挙げにも、沖縄の離島生まれの選手がいる。25歳の糸数(いとかず)陽一(警視庁)は、琉球王朝の時代からの聖地で「神の島」と呼ばれる久高島で生まれ育った。

 娯楽施設やコンビニなどはなく、島民は約200人。海に素潜りしてどれだけ大きな石を運べるか競うのが子どもたちの遊びだ。数え年で13になると「十三祝い」。一人前と見なされ、大人と漁に出る。海に潜り、魚の群れを網に追い込んだ。自然に体が鍛えられた。「僕の強みは大きなけががないこと。島の生活があったからだと思う」と語る。

 島に高校はなく、長男の糸数の進学のため、一家で本島に移住した。その後に競技を始めて10年。久高島出身で初の五輪代表になった。「島のおじいや、おばあが新聞を見て喜んでくれる」と今も励みにしている。

 沖縄からは、うるま市出身の座安(ざやす)琴希(久光製薬)も女子バレーで代表入りした。(原田亜紀夫、増田創至)

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