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(泉州タマネギ:1)

 関西のタマネギ産地というと、思い浮かぶのは兵庫県の淡路島と、大阪府の泉州である。大阪湾を挟んで向き合う二つの産地には、深い関係がある。

 淡路島の南端に位置する南あわじ市の亀岡八幡宮。境内に玉葱(たまねぎ)神社という小さな末社がある。4月、この末社の建立の由来を伝える石碑が建てられた。地元の住民が奉納した。

 石碑には淡路タマネギと泉州とのつながりも記されている。それによると、淡路でタマネギの集団生産が始まったのは1923年である。当時は農家の収入が低迷。暮らしは厳しく、もうかる作物として、泉州で成功していたタマネギが注目されたらしい。石碑にはこんな文言が続いている。「先進地泉州から講師を招聘(しょうへい)して栽培技術取得の講習会が重ねられ、農家の不安を取り除く試みがなされた」

 碑文を書いたのは、亀岡八幡宮の前川眞澄宮司(67)だ。45年に発行された「淡路玉葱発達史」を参考にした。この本の著者は宮本芳太郎さん(故人)。兵庫県の農業改良普及所の所長を務めた人だ。

 「発達史」は淡路タマネギの沿革を知る基本書という。前川さんは「泉州を手本にしたのは気候的に似ていたからでしょう。宮本さんは『淡路の農家の受けた恩沢は限りなし』とまで記しています」と言った。

 私は、宮本さんの元部下で、やはり県の農業改良普及所長を務めた同市の木村志津馬さん(86)を訪ねた。宮本さんは県内指折りの農業技術指導員で、各町村が独自に取り組んでいた泉州タマネギ導入の、まとめ役を担う人物だったと、木村さんは振り返った。

 「淡路ではその後、品種改良が重ねられ、貯蔵性が高く丸い淡路型が確立していきますが、基本は泉州の作り方です。私も何度も泉州に勉強に行きましたが、技術的にも大先輩で巨人のような存在でした」

 タマネギが日本に入ってきたのは明治時代。農林水産省の統計資料によると、北海道と大阪が先行し、19年についに大阪が収穫量で首位に立った。

 戦後も大阪が首位を維持したが、60年代半ばから都市化で急減。戦後、淡路島を中心に生産が急増した兵庫が取って代わった。一昨年は、兵庫は北海道、佐賀に次いで3位、大阪は20位だ。

 そもそも、大阪がなぜタマネギの生産で全国一だったのだろうか。

■希少野菜 試行錯誤の末(泉州…

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