[PR]

「救急車に乗ってホッとした。これで介護せずにすむ、と……」

(認知症の母を自宅で介護していた父の言葉)

 実家の両親は老老介護だった。認知症の母を、心臓やひざなどに持病のある父が介護していた。父の弟や、いとこなどが近くにいたが、みんなそれぞれに病を抱えて頼れる状況ではなく、私たち子どもも遠く離れていた。

 5年ほど前、両親とも70代後半だったある日のことだ。母を迎えに来たデイサービスの職員に、父は自分の体調が悪いので救急車を呼んでほしいと頼んだ。救急車で運ばれた父は、即入院になったそうである。

 母の受け入れ先や父の病状など、いろいろなことが落ち着いた後で、父は体調を崩した日を振り返ってつぶやいた。「救急車に乗ってホッとした。これで介護せずにすむ、と……」。

 気がつかなかった。父がそこまでつらかったとは……。シングルで職場の近くに住んでいた私は、2~3週間ごとに2泊3日で帰省をし、車に乗らない父の代わりに主に買い物や料理をして、母の話を聞き、母の様子を見て、それなりに手伝っていたつもりだった。そして父は、几帳面(きちょうめん)で家事万端を上手にこなし、愚痴をこぼすこともなかった。だが現実には、母の数回にわたる徘徊(はいかい)、スーパーでの万引きなどで、父は心身共に疲労困憊(ひろうこんぱい)だったそうである。初めて聞いた父の思いに、胸が詰まった。

 医療の専門職である私に、なぜ言わなかったのか? そう思ったが言葉が出なかった。私が信頼されていなかったのか、それとも私に迷惑をかけたくなかったのか。言ったところで離れて仕事をしている私に何ができるのかなど、責任感の強い父には、様々な思いが交錯したのだろう。

 後から振り返れば、「施設へ入らず、家にいられるならそれがいい」というのは、実情を直視していない子どもの勝手な思いだった。たまに帰るぐらいの私には、認知症介護の本当の大変さが認識できていなかったのだ。専門職であっても、自分の家族のことは分からなかった。母のことに終始して父のことにまで気が回らないまま、父に甘え、父に依存していた、と後悔と共に反省した。

 現在は、幸い両親ともに小康状態を保ち、母は特養、父は高齢者住宅で暮らしている。認知症になった父だが、今でもたまに「お母さんは、なかなか元気で大変だった」と、家で介護していたころのことを話す。私は胸に刺さった父のことばを忘れずに、終わりのときを前に多少でも親孝行したいと思っている。

◆教員 50代女性

     ◇

 あなたにとっての介護の記憶を、ぜひお聞かせください。ご投稿いただく際は、お名前とご連絡先(住所・電話番号・メールアドレス)をご明記のうえ、メールでお送りください。文字数の制限や締め切りはありません。匿名をご希望の方は、その旨をお書き添えください。掲載にあたり、ご投稿について記者がお話をお聞きする場合があります。

 朝日新聞文化くらし報道部「介護 あのとき、あの言葉」係

 kaigotoukou@asahi.comメールする