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 太平洋戦争が終わる前日、米軍が大阪城周辺を爆撃した最後の大阪大空襲(京橋駅空襲)。標的は「東洋一の兵器工場」といわれた日本陸軍の大阪砲兵工廠(こうしょう)だった。そこで働く人の中には、朝鮮半島から動員された若者もいた。京橋駅で生き地獄を目にした少年もいる。数百人の命が奪われた悲劇から14日で71年。体験者はなお痛みを抱え、あの日を語り継ぐ。

足に傷痕、消えぬ記憶

 大阪砲兵工廠には終戦時、従事者の2%にあたる1319人の朝鮮人徴用工がいたとされる。実態を調べる市民団体「大阪府朝鮮人強制連行真相調査団」の空野佳弘弁護士らが韓国の公文書で動員された人を突き止め、昨年、生存者3人に初めて聴き取りをした。その1人が先月、記者の取材に応じ、右足の傷痕をさすりながら71年前の体験を語った。

 故郷の韓国南西部・井邑(ジョンウプ)市に住む洪東周(ホンドンジュ)さん(88)。朝鮮半島が日本の植民地下にあった16歳の春。官憲が突然、家に来て「ちょっと用がある」。数十人が集められ、汽車やトラックで釜山(プサン)へ向かい、船で山口・下関へ。たどり着いたのが大阪砲兵工廠だった。

 配属先は高射砲の部品などを造る工場。日本人の工員から「おい、半島人」と呼ばれるのが嫌だった。訳も分からず殴られることもあった。学徒動員の女学生が差別的な言動をたしなめるのに救われたという。

 1945年。砲兵工廠は空襲にさらされ、広い敷地を逃げ惑った。右足のふくらはぎを爆弾とみられる金属片でえぐられ、両足にやけども負った。バラバラの遺体が電線にぶらさがる「地獄の光景」。今も脳裏から消えない。

 同じ集落の出身者で、創氏改名…

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