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田城明・中国新聞社客員特別編集委員(2014年、肩書は当時)

 「どうか眠りから目覚めてください 過ちを繰り返させないために」

 広島・長崎の被爆から69年を迎えた8月の朝。広島市の平和記念公園にある原爆慰霊碑前に立った私は、慰霊碑内の原爆死没者名簿に納められて眠る29万余の被爆者に心の内でこう呼びかけていた。

 原爆慰霊碑には「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」との碑文が刻まれている。原爆犠牲者の冥福を祈り、核廃絶と同時に、戦争という過ちを再び繰り返さないことを、碑前に立つ一人一人が誓う言葉である。

 しかし、この夏、私には「過ちは繰返しませぬから」と、亡くなった多くの被爆者に向き合うだけの確信が持てなかった。かなうものなら、過ちを防ぐために、人類初の核戦争の惨禍を体験した先人たちの力を借りたいのである。

 こんな思いを抱くのも、1年8カ月前に誕生した安倍晋三内閣の下で、軍事優先の施策が次々と進められているからだ。防衛計画の大綱改訂、軍事予算の増大、特定秘密保護法の制定、武器輸出3原則の撤廃…。

 中でも、7月1日の集団的自衛権行使容認の閣議決定は、従来の政権が一貫して維持してきた「自衛のための専守防衛」という憲法解釈を覆し、他国の戦争のために自衛隊の海外派遣を可能にするものだ。独善的で立憲主義に反したこのような憲法の解釈は、到底容認できない。

 戦争の放棄と、国際紛争を解決するために武力の行使を禁じた憲法第9条。それは第2次世界大戦で300万人もの犠牲者を出した日本人自らへの誓いであり、大きな犠牲を強いた近隣諸国など国際社会への誓いでもある。

 原爆の廃虚の中から歩み始めた被爆地広島の思想の「原点」は、終戦2年後の1947年8月6日、第1回平和祭(現在の平和記念式典)で発せられた浜井信三市長(1905~1968年)の「平和宣言」に凝縮されている。周りにバラックが立ち並ぶ平和公園北端に設けられた会場。浜井市長は被爆者ら市民を代表してこう訴えた。

 「戦争の惨苦と罪悪とを最も深く体験し自覚するもののみが、苦悩の極致として戦争を根本的に否定し、最も熱烈に平和を希求するものである」「今われらがなすべきことは全身全霊をあげて平和の道を邁進(まいしん)し、もって新しい文明へのさきがけとなることでなければならない」

 そこにうたわれているのは、同じ年の5月3日に施行された日本国憲法第9条の戦争放棄の考えと重なる。

 軍都広島から平和都市広島へ―。生き残った被爆者は、その歩みに希望を見いだしながらも、現実は厳しかった。差別や偏見、頼れる肉親の喪失、がんなど放射線後障害による疾病…。さまざまな障害を乗り越えながら、戦後を必死に生き抜いてきた。

 時の経過とともに多くの被爆者は、原爆投下国への憎しみを克服していった。核兵器廃絶や戦争否定を訴えるだけでなく、戦争で敵対しあった国民同士の和解の大切さも唱えた。憎悪と暴力ではなく、対話による信頼醸成の必要も説いた。

 「ノーモア・ヒロシマ」「ノーモア・ナガサキ」の言葉には、「同じ苦しみを二度と、地球上のだれにも味わわせたくない」という被爆者の願いがこもる。それは、原爆で無残に命を奪われたあまたの犠牲者から被爆者が託された、人類に対して負う使命とも言えた。

 「核と人類は共存できない」と核実験が行われるたびに慰霊碑前で抗議の座り込みを続けた倫理学者、「再び教え子を戦場に送ってはならない」と平和教育に打ち込んだ被爆教師たち、広島を訪れる修学旅行生らに「生き地獄」の体験や命の尊さを伝え続けた被爆語り部たち、詩や短歌、小説、絵画、音楽、漫画、映画などを通して原爆を告発し続けた芸術家たち…。

 すでに逝ってしまった私の知る多くの被爆者も、平和憲法の精神を体現した「ヒロシマの心」を、日本人や世界の人々に伝えようとしてきたのである。

 だが、「戦後レジームからの脱却」を唱え、日米軍事同盟の強化を目指す安倍首相の向かう方向は、被爆者らが築いてきた平和の道とは逆方向に向かっている。

 「原爆の悲惨を体験した日本人は、人類の平和な未来を照らす第9条にもっと誇りと自信をもって、積極的に紛争の調停役を果たし、核兵器や貧困のない世界実現のために貢献してほしい」

 平和学の第一人者で、日本社会にも詳しい元オスロ国際平和研究所長のヨハン・ガルトゥング博士は、かつて京都でインタビューした際に、私にこう言った。

 博士が唱えた「消極的平和」と「積極的平和」という概念は、平和学のみならず世界的に定着した言葉だ。前者は戦争のない状態を指し、後者は単に戦争がないだけでなく、貧困・抑圧・差別などの構造的暴力がない状態を意味する。安倍首相が好んで使う、軍事優先の「積極的平和主義」は、ガルトゥング博士ならきっと「歪曲(わいきょく)だ」と批判することだろう。

 米国の「核の傘」に依存し続ける日本の安全保障政策。地球上の核兵器の削減も、核保有国間の政治的利害が絡んで、遅々として進んでいない。

 ただ、こうした状況を打ち破ろうと、近年、核兵器廃絶を求める力強い潮流が国際社会に生まれている。被爆者をはじめ、被爆地の行政、国際NGO、国際機関、国内外の多くの市民らの取り組みによって、広島・長崎の被爆の惨状がこれまで以上に流布し、核兵器の非人道性に焦点を当てた核兵器禁止条約を求める国々が大幅に増えているのだ。

 核兵器禁止条約では、核拡散防止条約(核不拡散条約、NPT)で核保有が認められている米ロ英仏中5カ国を含め、すべての国・団体・個人に対して核兵器の開発、実験、製造、備蓄、委譲、威嚇、使用を禁止している。日本政府は、「極限状況」における核兵器使用を認めており、禁止条約を求める戦列には加わっていない。

 核廃絶を訴えながら核兵器に依存する日本政府の矛盾したダブルスタンダード(二重基準)外交。今や被爆国日本は、核兵器禁止条約の早期実現を目指す多くの非核保有国やNGOからは、足を引っ張る「抵抗勢力」と見なされているのだ。

 被爆70年を迎える来春には、5年に1度のNPT再検討会議がニューヨークの国連本部で開かれる。米ロを中心にいまだに1万7千発近い核兵器が地上に存在し、偶発核戦争や核テロの危険性も現実味を帯びている。

 ウクライナ東部やクリミア半島をめぐる欧米諸国とロシアの対立、イラク、シリア、パレスチナ、イスラエルなど中東諸国をめぐる紛争、今も続くインドとパキスタンの緊張、中国の軍事増強や北朝鮮の核・ミサイル開発…。

 核軍縮・廃絶は、核保有国に対する圧倒的な国際世論の圧力と、核保有国間の相互信頼が深まってこそ前進する。が、現状では、来年のNPT再検討会議で成果が生み出せるかどうかは楽観できない。

 こうした行き詰まりの状況下で、核廃絶・軍縮の流れに強いインパクトを与えることができるのは被爆国日本であろう。いざというとき、「米国が核兵器を使って日本を守ってくれるだろう」というのは幻想にすぎない。そもそも核兵器は使用してはならない兵器なのだ。今こそ、核抑止論の呪縛から勇気をもって抜け出し、核兵器禁止条約の交渉開始を求める世界の圧倒的な数の国々、市民の輪に加わることだ。

 被爆者を先頭に、核廃絶と不戦、平和を願って地道に活動を続けてきた被爆地広島・長崎。その訴えは、国際社会から大きな支持を得、多くの人々に勇気も与えてきた。政府もその活動と連携して力を合わせるなら、「平和国家」日本の国際的評価はどれほど高まるだろう。

 武力で問題が解決しないことは、アフガニスタン、イラク、シリアなどの状況を見ても明らかだろう。すでに日本は世界で有数の軍事力を保持しているのだ。これ以上の軍備増強や、日米の軍事一体化を進めて米国の戦争に加わっても、安倍首相がいう「世界の平和と安定」には寄与しないだろう。

 今は厳しい関係にある中国、韓国、北朝鮮とも粘り強く対話を重ね、中東など紛争地でも積極的に調停役を果たす。国際協力機構(JICA)が派遣する青年海外協力隊や紛争地などで活動に当たるNGO、民間企業の協力も得て平和外交を強める。それこそが原爆、戦争体験を教訓に「平和の道を邁進(まいしん)し、新しい文明へのさきがけ」となるべく、戦後日本が目指した、人類に貢献する道ではないか。

 その道とは逆に、安倍政権は民意に諮ることもなく、集団的自衛権行使によって平和憲法を実質的に葬ろうとしているのである。

 ヒロシマ・ナガサキの訴えも、その礎である憲法第9条の平和主義が失われるとき、世界の人々の心に響かなくなるだろう。9条の危機は、先人が積み重ねてきたヒロシマ・ナガサキの精神的遺産の危機でもある。

     ◇

 たしろ・あきら 中国新聞社客員特別編集委員。1972年入社。販売局発送部、編集局報道部、編集委員などを歴任し、2003年特別編集委員。2008~2014年2月ヒロシマ平和メディアセンター長兼務。同年4月から現職。主な著書に「核時代 昨日・今日・明日」(中国新聞社)、「知られざるヒバクシャ 劣化ウラン弾の実態」(大学教育出版)、「核超大国を歩く―アメリカ、ロシア、旧ソ連」(岩波書店)、「戦争格差社会アメリカ」(同)。共著に「世界のヒバクシャ」(講談社)など。ボーン・上田記念国際記者賞、日本記者クラブ賞など受賞。

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