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 太平洋戦争末期、特攻隊員を決める役を担った海軍大尉の男性がいた。戦後は生き残った後ろめたさを感じ続け、空に散った戦友の遺族を訪ねて歩いた。男性は昨年、亡くなった。その思いを継ぎたいと考えた娘と孫、ひ孫の3人はこの夏、足跡をたどる旅に出た。

 男性は埼玉県入間市に住んでいた林冨士夫さん。昨年6月、93歳で亡くなった。戦争の話を家族にすることは少なかったが、マスコミの取材を受けることはあった。2006年には特攻をテーマにした映画のインタビューに応じた。これを収めた映画「人間爆弾『桜花』 特攻を命じた兵士の遺言」(澤田正道監督)は、今月27日から全国で順次公開される。

心情つづった手記「自分が先に死ねば…」

 こうした記録や、林さんが書きためたA4判100ページ以上の手記によると、林さんは海軍兵学校を出て戦闘機の操縦指導をしていたが、1944年6月、飛行機型の特攻兵器「桜花」の計画を知って志願。「第721海軍航空隊」の桜花隊の分隊長として鹿児島県の鹿屋航空基地に入った。自ら出撃したいと申し出たが認められず、45年3月、出撃者を指名する役を任された。23歳だった。

 インタビューで、林さんは時折沈黙しながら話す。

 「出撃者名簿を書きそろえる時は、半年以上も同じ釜の飯を食った仲間ですし、特別な悲しみがありました。育てておきながら最後には鉛筆の先で殺すという矛盾に耐えかねて、出撃に送り出した後はその辺の草むらにしゃがみ込んで泣いていたのが日常でした」

 出撃者は体力や気力をみて選ん…

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