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(20日、高校野球準決勝 北海4―3秀岳館)

 秀岳館(熊本)は20日、準決勝で北海(南北海道)に敗れた。捕手で4番、主将としてチームを引っ張った九鬼(くき)隆平君(3年)は、「やまびこ打線」でその名をとどろかせた池田(徳島)で春夏4度甲子園に出場した父を持つ。頂点にあと一歩届かなかったが、息子の成長に父は目を細めた。

 この日、父の義典さん(47)は本塁に近いバックネット裏で観戦。秀岳館自慢の継投がはまらず、ピンチのたびに何度もマウンドへ駆け寄る隆平君の姿をじっと静かに見つめた。

 義典さんは池田で2年だった1986年の選抜に控え捕手としてベンチ入り、優勝を経験した。翌年は春夏連続で甲子園に出場。主将で4番で捕手。その姿は、今の息子と重なる。

 隆平君は小学5年で地元の大阪府枚方市の少年野球チームに入り、野球を始めた。公園で父とキャッチボールをする日々が、自然に野球へと向かわせた。

 父の指導は厳しかった。捕球や送球、ワンバウンドの止め方といった技術的なことにとどまらず、投手への声のかけ方といった周囲への気配りに至るまで、捕手の基本をたたき込んだ。「最初にきちんと教えなければ」と義典さん。

 中学では硬式野球の強豪「オール枚方ボーイズ」でプレーし、全国優勝を経験した。チームの監督だった鍛治舎巧さんが秀岳館の監督に就任することになり、進学先を同校にした。

 親元を離れて熊本で寮生活を始めると、父から指導を受ける機会が減った。「大きな存在だったと初めて気づいた」と隆平君。

 3年になり、最後の夏が近づくと連絡を取ることが増えた。無料通信アプリLINE(ライン)で配球や状況判断など、疑問に思ったことをたびたび尋ねた。

 今春の選抜、そして今夏と、隆平君は主将としてチームを甲子園に導いた。準々決勝の常総学院(茨城)戦。3点リードしながらも九回無死一、二塁で4番を迎えた。一発長打を警戒する場面。2ボール2ストライクとなり、義典さんは外角へのスライダーを予測した。しかし、隆平君が選んだのは内角直球。バットは空を切った。「よくそんなサイン出せたな」。息子の配球にうなった。

 北海に敗れた後、隆平君は泣き崩れる仲間を抱きかかえ、気丈に振る舞った。インタビューの受け答えもいつも通りにこなしたが、父の話になると涙があふれた。「ありがとうと伝えたい」。言葉を振り絞った。(大森浩志郎)

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