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 1952年のヘルシンキ五輪で、ソ連に初の金メダルをもたらした女子円盤投げ選手が、2016年8月に亡くなった。87歳だった。

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 ニーナ・ポノマレワ。1929年4月27日、当時のソ連のスベルドロフスク(現ロシアのエカテリンブルク)近くにあった強制労働収容所で生まれた。

 父アポロンは、教会関係の家に生まれた芸術家。母アンナは、富農の娘。いずれの家系も、スターリン体制のもとでは、「グーラグ(強制収容所)」に放り込まれることが多かった。

 「小さすぎて、親と一緒に刑期を務めているとは思いもしなかった」とポノマレワは2015年に、ロシアのスポーツ誌「スポーツ・エクスプレス(Sport Express)」で振り返っている。「両親は熱烈な体制支持者で、志願して木材の伐採に来ているとばかり思っていた」

 1936年、両親が釈放されると、一家はコーカサス地方のエセントゥキに移り住んだ。第2次大戦中は、ドイツに占領された。戦後、十代後半になったニーナは、走ることから陸上競技を始めた。体育を学ぼうと、この地方の主要都市スタブロポリにあった教育機関に進み、円盤投げに転じた。1948年には、地元の大会で優勝。翌年には、全国大会で3位に。1951年には全国大会を制した。

 そして、翌52年のヘルシンキ五輪。ソ連は、オリンピックに初めて参加した。ポノマレワは結婚してロマシェコワを名乗り、強力な女子円盤投げ陣を率いていた。

 それまでの五輪記録は、1936年のベルリン五輪でドイツのギーゼラ・マウアーマイヤーが出した156フィート2インチ(48メートル弱)だった。ポノマレワは、168フィート8インチ(51メートル強)を投げて金メダルを獲得。ソ連は、さらに銀と銅も取った。

 この金は、ソ連選手団全体の士気を高めた。事前の予想では、「ソ連の活躍」なんて冗談でしかなかったからだ。

 ポノマレワの記録は、さらに伸びた。五輪制覇の1カ月後には、175フィート10.5インチ(54メートル弱)の世界記録を打ち立てた。

 競技の場では、非の打ちどころがなかった。しかし、4年後に、ロンドンの婦人用帽子売り場でつまずいた。英国との陸上競技の対抗試合で訪れていた。

 現場となったのは、ロンドン中…

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