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木村真知子さん「どうか平和で戦争のない世界を」

 ――核のない平和な世界になってほしいと思います。世界を見渡しても戦争はいっこうになくなりません。どうか平和で戦争のない世界をと願ってやみません――

 生後26日目に長崎で被爆した東京都世田谷区の木村真知子さん(71)に苦難の記憶はない。母から話は聞いていたが、人に話したことはほとんどなかった。アンケートが届き、被爆者がいなくなるであろう30年後を思い描いた。そして伝えなくてはとペンをとった。

 ――私は新生児の時期に3回死んだのです。1回目は原爆被爆当日8月9日――

 8月9日午前11時2分。長崎の爆心地から約1・8キロの自宅にいた。祖父母と両親、姉と兄の7人暮らし。母が木村さんにおっぱいをあげようとした瞬間、爆風で吹き飛ばされた。寄り添ってくれていた母のおかげで助かった。

 ――2回目は防空壕の中――

 一家は防空壕に逃げ込んだが食べる物はなかった。母はやせ細った。「このままいたらみんな餓死する」。1週間近くたち、父が防空壕を出ようと決め、祖父の実家がある佐賀県鳥栖を目指した。

 ――3回目は炎天下での強行軍――

 猛暑の中、民家の軒先で野宿しながら、2日間歩き続けた。「着の身着のままで逃げたそうです。死ぬ思いだったんじゃないかな」

 母は木村さんをさらしで体に巻き付け、父は足腰が弱くなっていた祖父を引きずるようにして歩いた。途中から汽車に乗ったが、直線でも100キロほどの距離。移動で疲弊し、祖父は実家に着くと、すぐに息を引き取った。木村さんは家族に守られ命をつないだ。

 東京で就職後、原爆について語…

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