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 広島、長崎に原爆が投下されてから71年が過ぎました。被爆者は次世代にどのような言葉を残そうとしているのでしょうか。朝日新聞が昨夏の被爆70年に実施した被爆者アンケート(有効回答5762人)へ寄せられたメッセージを追加取材の内容とともに順次紹介します。

山本剛久さん「遺伝子の記憶、突如」

 ――被爆の記憶は私の体内の奥深く、遺伝子の中に残され続けていたのです。その記憶が突如として被爆している私自身の体にではなく、私から生まれた年若い少年の体を蝕(むしば)む形で呼び覚まされたのです――

 神石高原町油木の山本剛久(たかひさ)さん(72)は「親愛なる貴方(あなた)へ」というタイトルのメッセージを寄せた。白血病を患い、1988年に16歳で亡くなった次男・篤さんに向けた悔恨の情がしたためられている。

 1945年8月8日。岡山に疎開していた剛久さんの母・政子さんは、背に1歳の剛久さんをおぶい、広島市内を横断しようとしていた。剛久さんは入市被爆した。その場所について被爆者健康手帳には、爆心地の南約1・5キロの水主町(現・広島市中区)と書かれている。

 後に政子さんは「市中に這(は)い入るに従い、電線は歩きにくいほど足下に散らばり、満足な家もなくなり目の限りがれきの山となり、水道は破れて水が放出しているのを背の子ども(剛久さん)がほしがります」と手記に記した。

 翌春、一家は旧豊松村(現・神石高原町)に移り住んだ。穏やかな家族の時間だったが86年に一変する。剛久さんの次男・篤さんが白血病だと分かった。介護や治療のかいもなく、1年9カ月の闘病の後に亡くなった。

 ――代わりになってやれない自分を情けない父親だと責めました。被爆直後、たくさんの人たちが放射線障害で亡くなったときの様子と息子のそれとが重なります。しかし彼の場合「原爆によるもの」という断定はなされていません――

 それでも篤さんの病気について…

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