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 これはしくじったと垣根の下から見上げると、三羽とも元の所にとまって上から嘴(くちばし)を揃(そろ)えて吾輩の顔を見下している。図太い奴だ。睨(にら)めつけてやったが一向利かない。脊(せ)を丸くして、少々唸(うな)ったが益(ますます)駄目だ。俗人に霊妙なる象徴詩がわからぬ如く、吾輩が彼らに向って示す怒りの記号も何らの反応を呈出しない。考えて見ると無理のないところだ。吾輩は今まで彼らを猫として取り扱っていた。それが悪るい。猫ならこの位やれば慥かに応(こた)えるのだが生憎(あいにく)相手は烏だ。烏の勘公とあって見れば致し方がない。実業家が主人苦沙弥先生を圧倒しようとあせる如く、西行(さいぎょう)に銀製の吾輩を進呈するが如く、西郷隆盛(さいごうたかもり)君の銅像に勘公が糞(ふん)をひるようなものである。機を見るに敏なる吾輩は到底駄目と見て取ったから、奇麗さっぱりと椽側へ引き上げた。もう晩飯の時刻だ。運動もいいが度を過すと行かぬ者で、からだ全体が何となく緊(しま)りがない、ぐたぐたの感がある。のみならずまだ秋の取り付きで運動中に照り付けられた毛ごろもは、西日を思う存分吸収したと見えて、ほてって堪(たま)らない。毛穴から染(し)み出す汗が、流れればと思うのに毛の根に膏(あぶら)のようにねばり付く。脊中がむずむずする。汗でむずむずするのと蚤(のみ)が這(は)ってむずむずするのは判然と区別が出来る。口の届く所なら嚙(か)む事も出来る、足の達する領分は引き搔く事も心得にあるが、脊髄(せきずい)の縦に通う真中と来たら自力の及ぶ限(かぎり)でない。こういう時には人間を見懸けてやたらにこすり付けるか、松の木の皮で充分摩擦術を行うか、二者その一を択(えら)ばんと不愉快で安眠も出来兼ねる。人間は愚(ぐ)なものであるから、猫なで声で――猫なで声は人間の吾輩に対して出す声だ。吾輩を目安にして考えれば猫なで声ではない、なでられ声である――よろしい、とにかく人間は愚なものであるから撫(な)でられ声で膝(ひざ)の傍(そば)へ寄って行くと、大抵の場合において彼もしくは彼女を愛するものと誤解して、わが為(な)すままに任せるのみか折々は頭さえ撫でてくれるものだ。しかるに近来吾輩の毛中(もうちゅう)にのみと号する一種の寄生虫が繁殖したので滅多に寄り添うと、必ず頸筋(くびすじ)を持って向うへ抛(ほう)り出される。纔(わず)かに眼に入(い)るか入らぬか、取るにも足らぬ虫のために愛想をつかしたと見える。手を翻せば雨、手を覆(くつがえ)せば雲とはこの事だ。高がのみの千疋や二千疋でよくまあこんなに現金な真似が出来たものだ。人間世界を通じて行われる愛の法則の第一条にはこうあるそうだ。――自己の利益になる間は、須(すべか)らく人を愛すべし。――人間の取り扱が俄然(がぜん)豹変(ひょうへん)したので、いくら痒(か)ゆくても人力を利用する事は出来ん。だから第二の方法によって松皮(しょうひ)摩擦法をやるより外に分別はない。しからばちょっとこすって参ろうかとまた椽側から降りかけたが、いやこれも利害相償わぬ愚策だと心付いた。というのは外でもない。松には脂(やに)がある。この脂たる頗る執着心の強い者で、もし一たび、毛の先へくっ付けようものなら、雷が鳴ってもバルチック艦隊が全滅しても決して離れない。しかのみならず五本の毛へこびりつくが早いか、十本に蔓延(まんえん)する。十本やられたなと気が付くと、もう三十本引っ懸っている。吾輩は淡泊を愛する茶人的猫である。こんな、しつこい、毒悪な、ねちねちした、執念深い奴は大嫌(だいきらい)だ。たとい天下の美猫(びみょう)といえども御免蒙る。いわんや松脂においてをやだ。車屋の黒の両眼から北風に乗じて流れる目糞と択ぶ所なき身分を以て、この淡灰色の毛衣(けごろも)を大(だい)なしにするとは怪(け)しからん。少しは考えて見るがいい。といったところできゃつなかなか考える気遣(きづかい)はない。あの皮のあたりへ行って脊中をつけるが早いか必ずべたりと御出(おいで)になるに極っている。こんな無分別な頓痴奇(とんちき)を相手にしては吾輩の顔に係わるのみならず、引いて吾輩の毛並に関する訳だ。いくら、むずむずしたって我慢するより外に致し方はあるまい。

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 【象徴詩】外界の写実的な描写…

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