加藤氏の訃報(ふほう)に、政界や地元では悼む声が広がった。

 宏池会を受け継ぐ岸田派会長の岸田文雄外相は「結果を出すべく、政策をどのように学ぶべきか教えて頂いた。偉大な先輩で、寂しく思います」と語った。自民党の茂木敏充政調会長は「要職を務め大きな功績を残された。突然で驚きを隠せない」と悼んだ。

 盟友だった山崎拓元自民党副総裁は「終生の畏友(いゆう)であった加藤氏の訃報に接し、強烈な衝撃を受けました。比類なき英智の持ち主であり、文字通り日本政界のトップリーダーの一人として活躍してこられた」とコメントした。

 加藤氏自身にとっても日本の政界にとっても大きな節目となった2000年の「加藤の乱」。鎮圧する側だった野中広務元幹事長は「あれが本当に大きな分かれ目だった。首相もできる人だったが、自滅した」と述懐。「あの人がうまくやっていれば、中国との関係も、その他の政治課題ももっと解決できた。惜しい人をなくした」と語った。自民党幹事長も務めた生活の党の小沢一郎代表は「彼の最初の立候補にも関わっており、一度は総理にと思っていただけに、それが果たせず亡くなってしまったことは、本当に無念でなりません」との談話を発表した。

 加藤氏は他党の議員とも交流が深かった。自社さ政権にともに参加した村山富市元首相は「立つ位置は違うが、加藤さんの人柄や能力は評価していた。ちゃんと見識を持ってものを言える人がいなくなって惜しいね」。辻元清美衆院議員は「保守リベラルの方向性を指し示してくれていた北極星のような星が消えてしまった」と惜しんだ。

 地元の山形選出の岸宏一前参院議員は「山形県にとって、立派な政治家を失った」と話した。加藤氏とは日中友好に尽くしてきた同県遊佐町の小野寺喜一郎前町長は「彼のライフワークでもある日中友好運動にともに取り組んできたが、尖閣問題で日中がぎくしゃくしている時期だけにアドバイスを頂ければと思っていた。残念です」。

 加藤氏の三女で、地盤を引き継いだ鮎子衆院議員は「7日に息子も連れて病院に会いに行った。私の活動報告などを聞いて、うなずいていた。娘としての寂しさもあるが、政治家としても残念」と話した。