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 一昨年『心』の斬新な装幀(そうてい)本を刊行した祖父江慎(そぶえしん)氏の話を聞く機会があった。現在新しい単行本『猫』を計画中とのことで、読み進むと誰の言葉だかわかりにくい部分が多くなることに留意し、会話部分をいくつもの違った活字で再現できないか模索しているという。苦沙弥・迷亭・寒月ら、「個性」を描き分けているように見えて、時折「臥竜窟(がりょうくつ)」に集う人々の話は区別しにくい。富子に捧げる新体詩を作る越智東風のぎこちない語調は、わかりやすいくらいだ。「キャラクター」の英語の綴(つづ)りの単語は評論や研究ノートで使っても、そのカタカナを漱石は作品では一度も用いていない。では、今では「性格」と訳されるこの言葉を、漱石はどう理解し、使っていたのか。明治37・38年ごろのノートで、登場したハムレットの科白(せりふ)のわかりにくさに関して、「曖昧(あいまい)ナル処がハムレツトの性格の一端ヲ示ス者ナリ」と鋭く指摘する漱石である。

 見事な人物描き分けが見られる「坊っちゃん」では、実は「性格」の語は一回も見られず、あるのは「気性(きしょう)」「性分(しょうぶん)」「性(たち)」といった語である。いま連載されている「猫」のこれまでの部分で、「性格」が出てくるのはわずか2回、二章で越智東風が「朗読会」を立ち上げ、「作中の人物に同情を持ってその性格を発揮する」と主張する部分のみだ。あとは、作品の最後に近い部分に1回だけ使われる。英語の教師や、美学という新しい学問をする人間でも、日常の語彙(ごい)はかなり古くさい。「吾輩」の言葉もそれに影響され、六章では主人を「頗(すこぶ)る猫に近い性分」と評し、迷亭は「私なんざ、寐たくない、質(たち)でね」と言う。少し先では、「吾輩」は迷亭について、「黙っている事が出来ぬ性(たち)」と語る。同じ「たち」でも漢字が違うのは、それだけその語感が作者の意識の中で、未分化でたゆたっているからであろう。

 表現を支えている言葉のすみ着…

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