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 「……で公徳というものは大切な事で、あちらへ行って見ると、仏蘭西(フランス)でも独逸(ドイツ)でも英吉利(イギリス)でも、どこへ行っても、この公徳の行われておらん国はない。またどんな下等な者でもこの公徳を重んぜぬ者はない。悲しいかな、我が日本にあっては、まだこの点において外国と拮抗(きっこう)する事が出来んのである。で公徳と申すと何か新しく外国から輸入して来たように考える諸君もあるかも知れんが、そう思うのは大(だい)なる誤りで、昔人(せきじん)も夫子(ふうし)の道一(いつ)以てこれを貫く、忠恕(ちゅうじょ)のみ矣(い)といわれた事がある。この恕と申すのが取りも直さず公徳の出所である。私も人間であるから時には大きな声をして歌などうたって見たくなる事がある。しかし私が勉強している時に隣室のものなどが放歌するのを聴くと、どうしても書物の読めぬのが私の性分である。であるからして自分が『唐詩選』でも高声に吟じたら気分が晴々(せいせい)してよかろうと思う時ですら、もし自分のように迷惑がる人が隣家に住んでおって、知らず知らずその人の邪魔をするような事があっては済まんと思うて、そういう時はいつでも控えるのである。こういう訳だから諸君もなるべく公徳を守って、いやしくも人の妨害になると思う事は決してやってはならんのである。……」

 主人は耳を傾けて、この講話を謹聴していたが、茲(ここ)に至ってにやりと笑った。ちょっとこのにやりの意味を説明する必要がある。皮肉家がこれをよんだらこのにやりの裏(うち)には冷評的分子が交っていると思うだろう。しかし主人は決して、そんな人の悪い男ではない。悪いというよりそんなに智慧の発達した男ではない。主人は何故笑ったかというと全く嬉しくって笑ったのである。倫理の教師たる者がかように痛切なる訓戒を与えるからはこの後は永久ダムダム弾の乱射を免かれるに相違ない。当分のうち頭も禿げずに済む、逆上は一時に直らんでも時機さえくれば漸次(ぜんじ)回復するだろう、濡れ手拭を頂いて、炬燵(こたつ)にあたらなくとも、樹下石上を宿としなくとも大丈夫だろうと鑑定したから、にやにやと笑ったのである。借金は必ず返す者と二十世紀の今日にもやはり正直に考えるほどの主人がこの講話を真面目に聞くのは当然であろう。

 やがて時間が来たと見えて、講…

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