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 連想は当人の随意だがそれ以外の戦争はないものと心得るのは不都合だ。太古蒙昧(もうまい)の時代にあってこそ、そんな馬鹿気た戦争も行われたかも知れん、しかし太平の今日、大日本国帝都の中心においてかくの如き野蛮的行動はあり得べからざる奇蹟に属している。如何に騒動が持ち上がっても交番の焼打以上に出る気遣はない。して見ると臥竜窟主人の苦沙弥先生と落雲館裏八百の健児との戦争は、まず東京市あって以来の大戦争の一として数えても然(しか)るべきものだ。左氏(さし)が鄢陵(えんりょう)の戦(たたかい)を記するに当っても先ず敵の陣勢から述べている。古来から叙述に巧みなるものは皆この筆法を用いるのが通則になっている。だによって吾輩が蜂の陣立てを話すのも仔細(しさい)なかろう。それで先ず蜂の陣立て如何(いかん)と見てあると、四つ目垣の外側に縦列を形ちづくった一隊がある。これは主人を戦闘線内に誘致する職務を帯びた者と見える。「降参しねえか」「しねえしねえ」「駄目だ駄目だ」「出てこねえ」「落ちねえかな」「落ちねえはずはねえ」「吠えて見ろ」「わんわん」「わんわん」「わんわんわんわん」これから先は縦隊総がかりとなって咄喊(とっかん)の声を揚げる。縦隊を少し右へ離れて運動場の方面には砲隊が形勝の地を占めて陣地を布(し)いている。臥竜窟に面して一人の将官が擂粉木(すりこぎ)の大きな奴を持って控える。これと相対して五、六間の間隔をとってまた一人立つ、擂粉木のあとにまた一人、これは臥竜窟に顔をむけて突っ立っている。かくの如く一直線にならんで向い合っているのが砲手である。ある人の説によるとこれはベースボールの練習であって、決して戦闘準備ではないそうだ。吾輩はベースボールの何物たるを解せぬ文盲漢である。しかし聞くところによればこれは米国から輸入された遊戯で、今日中学程度以上の学校に行わるる運動のうちで尤も流行するものだそうだ。米国は突飛な事ばかり考え出す国柄であるから、砲隊と間違えても然るべき、近所迷惑の遊戯を日本人に教うべくだけそれだけ親切であったかも知れない。また米国人はこれを以て真に一種の運動遊戯と心得ているのだろう。しかし純粋の遊戯でもかように四隣を驚かすに足る能力を有している以上は使いようで砲撃の用には充分立つ。吾輩の眼を以て観察したところでは、彼らはこの運動術を利用して砲火の功を収めんと企てつつあるとしか思われない。物はいいようでどうでもなるものだ。慈善の名を借りて詐偽を働らき、インスピレーションと号して逆上をうれしがる者がある以上はベースボールなる遊戯の下(もと)に戦争をなさんとも限らない。或人の説明は世間一般のベースボールの事であろう。今吾輩が記述するベースボールはこの特別の場合に限らるるベースボール即ち攻城的砲術である。これからダムダム弾を発射する方法を紹介する。直線に布(し)かれたる砲列の中の一人が、ダムダム弾を右の手に握って擂粉木の所有者に抛(ほう)りつける。ダムダム弾は何で製造したか局外者には分らない。堅い丸い石の団子のようなものを御鄭寧(ごていねい)に皮でくるんで縫い合せたものである。前(ぜん)申す通りこの弾丸が砲手の一人の手中を離れて、風を切って飛んで行くと、向うに立った一人が例の擂粉木をやっと振り上げて、これを敲(たた)き返す。たまには敲き損(そこ)なった弾丸が流れてしまう事もあるが、大概はポカンと大きな音を立てて弾(は)ね返る。その勢は非常に猛烈なものである。神経性胃弱なる主人の頭を潰(つぶ)す位は容易に出来る。砲手はこれだけで事足るのだが、その周囲附近には弥次馬(やじうま)兼援兵が雲霞(うんか)の如く付き添うている。ポカーンと擂粉木が団子に中(あた)るや否やわー、ぱちぱちぱちと、わめく、手を拍(う)つ、やれやれという。中ったろうという。これでも利かねえかという。恐れ入らねえかという。降参かという。これだけならまだしもであるが、敲き返された弾丸は三度に一度必ず臥竜窟邸内へころがり込む。これがころがり込まなければ攻撃の目的は達せられんのである。

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 【左氏】左丘明。中国春秋時代…

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