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 こうなっては如何に消極的なる主人といえども応戦しなければならん。さっき座敷のうちから倫理の講義をきいてにやにやしていた主人は奮然として立ち上がった。猛然として馳け出した。驀然(ばくぜん)として敵の一人を生捕(いけど)った。主人にしては大出来である。大出来には相違ないが、見ると十四、五の小供である。髯の生えている主人の敵として少し不似合だ。けれども主人はこれで沢山だと思ったのだろう。詫(わ)び入るのを無理に引っ張って椽側の前まで連れて来た。ここにちょっと敵の策略について一言(いちげん)する必要がある、敵は主人が昨日の権幕を見てこの様子では今日も必ず自身で出馬するに相違ないと察した。その時万一逃げ損じて大僧(おおぞう)がつらまっては事面倒になる。ここは一年生か二年生位な小供を玉拾いにやって危険を避けるに越した事はない。よし主人が小供をつらまえて愚図々々理窟を捏(こ)ね廻したって、落雲館の名誉には関係しない、こんなものを大人気もなく相手にする主人の恥辱になるばかりだ。敵の考はこうであった。これが普通の人間の考で至極尤もなところである。ただ敵は相手が普通の人間でないという事を勘定のうちに入れるのを忘れたばかりである。主人にこれ位の常識があれば昨日だって飛び出しはしない。逆上は普通の人間を、普通の人間の程度以上に釣るし上げて、常識のあるものに、非常識を与える者である。女だの、小供だの、車引きだの、馬子(まご)だのと、そんな見境いのあるうちは、まだ逆上を以て人に誇るに足らん。主人の如く相手にならぬ中学一年生を生捕って戦争の人質とするほどの了見でなくては逆上家の仲間入りは出来ないのである。可哀そうなのは捕虜である。単に上級生の命令によって玉拾いなる雑兵(ぞうひょう)の役を勤めたるところ、運わるく非常識の敵将、逆上の天才に追い詰められて、垣越える間もあらばこそ、庭前に引き据えられた。こうなると敵軍は安閑と味方の恥辱を見ている訳に行かない。我も我もと四つ目垣を乗りこして木戸口から庭中に乱れ入る。その数は約一ダースばかり、ずらりと主人の前に並んだ。大抵は上衣(うわぎ)もちょっ着(き)もつけておらん。白シャツの腕をまくって、腕組をしたのがある。綿(めん)ネルの洗いざらしを申し訳に背中だけへ乗せているのがある。そうかと思うと白の帆木綿(ほもめん)に黒い縁をとって胸の真中に花文字を、同じ色に縫いつけた洒落(しゃれ)者(もの)もある。いずれも一騎当千の猛将と見えて、丹波(たんば)の国は笹山(ささやま)から昨夜(ゆうべ)着し立てで御座るといわぬばかりに、黒く逞(たくま)しく筋肉が発達している。中学などへ入れて学問をさせるのは惜しいものだ。漁師か船頭にしたら定めし国家のためになるだろうと思われる位である。彼らは申し合せた如く、素足に股引(ももひき)を高くまくって、近火の手伝にでも行きそうな風体(ふうてい)に見える。彼らは主人の前にならんだぎり黙然(もくねん)として一言(いちごん)も発しない。主人も口を開かない。少時(しば)らくの間双方とも睨(にら)めくらをしているなかにちょっと殺気がある。

 「貴様らはぬすっとうか」と主人は尋問した。大気燄(だいきえん)である。奥歯で嚙(か)み潰(つぶ)した癇癪(かんしゃく)玉(だま)が炎となって鼻の穴から抜けるので、小鼻が、いちじるしく怒(いか)って見える。越後獅子(えちごじし)の鼻は人間が怒(おこ)った時の恰好を形(かた)どって作ったものであろう。それでなくてはあんなに恐しく出来るものではない。

 「いえ泥棒ではありません。落…

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