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南十字星の下で

 オーストラリアの首都キャンベラにある国会議事堂で10月14日、日豪友好協力基本条約締結の40周年を記念する式典が開催された。日豪両国の関係者を中心に約200人が集まり、ターンブル首相も出席。さらに、ピアニストの辻井伸行さんがドビュッシーやショパンなどの曲を演奏し、大喝采を浴びた。

 ところで、「友好協力基本条約」という名前に不思議な響きを感じるのは、私だけだろうか。英語だと、「The Basic Treaty of Friendship and Cooperation」。やっぱり、どこか違和感がある。「フレンドシップ」をうたっているのに、ぎくしゃくしているというか……。

 気になったので、締結時の時代状況などを調べてみた。

 条約が締結されたのは、1976年6月16日。署名したのは、当時の三木武夫首相とマルコム・フレーザー首相だった。昨年3月に84歳で亡くなったフレーザー氏は、自由党党首として保守政権を率いた大物政治家だ。ベトナム戦争で生まれた多数のインドシナ難民を人道的・政治的な理由から受け入れ、アジア太平洋経済協力会議(APEC)の創設にも尽力するなど、アジア諸国との関係を実質的に変えたと言われる。

 条約締結前後の日豪関係を振り返ると、貿易面で大変な相互依存の状態だったことがわかる。特にオーストラリアは、高度経済成長の日本へ大量の鉄鉱石や石炭を輸出。76年から77年の輸出先シェアでみると、2位の米国(8・7%)を大きく引き離し、実に3分の1以上の34%を日本が占めている。日本からは機械や電気製品、自動車などが輸出された。

 70年代半ばには、鉄鉱石や牛肉、砂糖などで貿易摩擦が相次ぎ、日豪関係はかなりぎくしゃくしていた。この状況をなんとかしようとして生まれたのが、「友好協力基本条約」だったわけだ。オーストラリアにとっては、初の二国間友好条約だった。そう考えると、条約名が醸し出す「ぎこちなさ」が理解できるような気もする。

 14カ条と議定書、合意議事録…

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