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 東日本大震災の日、児童74人と教職員10人が犠牲になった小学校が、宮城県石巻市にある。海から約4キロの内陸で、津波に襲われるまで時間はあった。なぜ逃げられなかったのか。学校管理下で最悪の津波災害をめぐる判決が、26日に仙台地裁で言い渡される。

娘奪われた理由、知りたい

 牡鹿(おしか)半島の北を流れる北上川沿いの低地に、石巻市立大川小学校の旧校舎は立つ。1985年にできた2階建ての校舎は、高さ約10メートルの津波に襲われた。

 5年生の教室の壁に、児童たちが荷物を掛けていたフックが並んでいた。その一つに「紫桃千聖(しとうちさと)」と書かれたシールが残る。紫桃隆洋(たかひろ)さん(52)にとって、それは11歳だった娘が生きていた証しだ。

 あの日、「先生の言うことを聞くんだよ」と娘を送り出した。揺れたときも、「学校にいるんだから大丈夫」と思った。自分は間違っていたのか。学校を信じた自分は正しかったと確信したい。そのために、娘を奪われた理由を知りたい。

 「でも、学校も石巻市も、何も…

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