20日に死去した平尾誠二さんと同じポジションのスタンドオフ(SO)として活躍した松尾雄治さんは、突然の悲報に故人をしのんだ。松尾さんはこの日、大阪市内のホテルで開かれる集まりに出席しようと東京を出発する直前、死去を知らされた。平尾さんも同席予定の会合だったという。

 1985年の日本選手権決勝が選手として最後の対戦だった。新日鉄釜石のSOが松尾さん、大学選手権3連覇の同大のCTBが平尾さんだった。この試合で新日鉄釜石が7連覇の金字塔を打ち立てた。

 松尾さんは平尾さんが19歳で日本代表入りした時の衝撃を今でも忘れられない。「パスを2~3回して、走っただけで『ものが違う』と分かった。野球で言えば、大谷翔平が入ってきたようなもの」。それまでのバックス選手に比べ、身体能力、運動神経が抜きんでていた。「俺の後は平尾が継ぐ。日本ラグビーを背負う」という予感通りになった。その後、平尾さんは神戸製鋼に進み、88年度から7連覇を果たした。

 チームが同じ鉄鋼業で、7連覇の記録も同じ。それぞれ被災した。東日本大震災の後の2012年には秩父宮の復興イベントでも対戦するなど交流があった。19年W杯に向けて、日本ラグビーの顔としての活躍が期待された平尾さんが去り、松尾さんは「本当に信じられない」と声を落とした。(能田英二)